妄想オムライス
床下は骨伝導 ワ((゚゚дд゚゚ ))ワワ !!!!!



イシュタルの娘 大和和紀 @ぬばたまがお気に入り

イシュタルの娘 sokuyomi




 主な登場人物(1〜12巻 順不同)

小野於通 父・小野正秀 母 兄・小弥太/弥二郎 真田源三郎/源次郎(幸村) 織田信長 
羽柴秀吉 於ね(北政所) 近衛信基(前関白近衛前久息子・のちに伸輔・信尹のぶただ) 
茶茶(淀君)  初 江 お市の方 ルイス・フロイス 明智光秀 出雲阿国 真田昌幸 
鶴松 ぬばたま 石田三成 本田忠勝 千利休 九条兼孝 妻・煕子 父・九条植通(たねみち) 
徳川家康 北条氏政・氏直 長丸(徳川秀忠) 塩川志摩守 京極龍子 前子(さきこ)
甲斐姫(成田氏長娘)大谷吉継 飯綱の太夫 細川幽斎 京極マリア 細川ガラシャ 
秀次 秀勝 秀俊(小早川秀秋) 小松(忠勝娘・信幸妻) 狩野探幽 長谷川等伯 
伊達政宗 前田慶次郎 菊亭晴季 後陽成帝 前田玄以 一の台 斉藤ふく(春日局)
大蔵卿局(淀の乳母) 大野治長(大蔵卿局の息子) 金春太夫 観世又次郎 島津義弘
秀次 九条幸家 一乗院尊政(信輔の兄) 一乗院典瑜 細川忠興 前田利家 島津義久
秀頼 九条幸家 加藤清正 近衛龍山(信輔父) 渡瀬羽林(信輔) 小西行長 宇喜多秀家
千姫 太郎(小野図:つう) お松(利家妻) 上杉景勝 毛利輝元 浅野長政 増田長盛
長束正家 前田利長 福島正則 黒田長政 藤堂高虎 浅野幸長 蜂須賀家政 直江兼続
鳥居元忠 最上義光 山内一豊 池田輝政 吉川広家 毛利秀元 長宗我部盛親 黒田官兵衛
利世姫(大谷刑部娘・幸村妻) 稲葉正成 大谷刑部 於阿茶 大姥局 初姫 大久保忠隣
完子(さだこ)姫 正勝・正利(ふくの息子) 三宮政仁親王(後水尾帝) 竹千代(家光)
猪熊教利 広橋局 花山院 敷島の巫女 



 

        ぬばたま



 第一巻の出来事

三方ヶ原の戦い 信長の安土が栄える 於通・琵琶湖に女神を見る 蛇石(じゃいし)
近所の子供に語って聞かせていた牛若の物語を信長仮屋敷にて側室たちに乞われ話し聞かす。
 (浄瑠璃十二段のパイオニアとしての於通はこれのほかに描かれず) -以下略-



 於通の不思議な能力について九条の大殿曰く

聖徳太子の御時、遣隋使となった小野妹子、小野好古。古くは近江に栄えたが、南北朝のおり
南朝方についたため一族は離散、於通はおそらくその近江小野の末だろう。
琵琶湖のほとり近江安土にて何か見たか。

「子供の時に女神を見た」

それこそは琵琶湖に静まり給う女神のお姿。祖先の誰かが信仰しておったのじゃろう。
「古事記」をひもとけば、アマテアス神が天野岩戸にお隠れになったおり、岩戸の前で
おもしろおかしく舞い踊り太陽神アマテラスにお戻りただく一役をかったアメノウズメ神。
アメノウズメ神はアマテラス神が天つ神に下界を治めさせるべく天孫ヒコホノニニギ神を
降臨させ給うときお伴としてこの地に降りた神々のひとり。
ウズメは国つ神サルタビコ神と結婚し、ゆえに末は猿女(さるめ)の君と呼ばれる巫女になった。

猿女の君たちは神がかりの巫女として宮中の祭祀に重要な役割を為す釆女となった。
いつのころからか小野氏は猿女氏と婚姻を結ぶようになり、結果多くの巫女・釆女が誕生した。
平安の歌人にして伝説の美女小野小町もその一人という。
そしてさらなる怪人は小野篁(たかむら)卿(百人一首に歌あり)。平安初期の屈指の詩人・
歌人、孫に三蹟の一人小野道風がいるが、篁卿は夜な夜な井戸の底を通って地獄へ下り、
閻魔大王の裁きの補佐をしていたという。「今昔物語」によれば、あるとき藤原良相(よしみ)
が病死し、地獄で閻魔さまの前に引き出されたとき篁卿が現れて取りなしをしてくれ、良相は
助命され生き返ったとか。うそかまことかそれだけ霊性の強い人物であった。
小野於通の(オーラや邪気が見える)眼は小野によって受け継がれたアメノウズメの力なのだ。


 小野於通wikipedia



 

            家康



 大和和紀氏のおもな参考文献

信長とは何か
CG日本史シリーズだ鏐饋長戦記
お公家さんの日本語
戦国を生きた公家の妻たち
連歌とは何か
小野お通-歴史の闇から蘇る桃山の華
小野家の女たち、小町とお通
三藐院近衛信尹 残された手紙から
信長公記
完訳フロイス日本史織田信長篇(掘
クロニック戦国全史
北政所おね
北政所と淀殿
能に憑かれた権力者
太閤の手紙



 

    於通              阿国とボーイフレンド







 

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狐をめぐる世間話:目次

伝説とはひと味違う、あくまでも世間話だから採集は大変だったと思う。



 日本民話の会編[シリーズ]日本の世間話5
狐をめぐる世間話 松谷みよ子編 青弓社

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 目次

一 狐と人との交流
   1 狐と人との交流
   2 狐のたのみごと・たのまれごと

二 狐のパフォーマンス
   1 狐の火
   2 狐の音まね
   3 狐のパフォーマンス

三 化ける
   1 自然現象をおこす
   2 妖怪に化ける
   3 いろいろなものに化ける
   4 家などに化ける
   5 汽車などに化ける

四 化かされる
   1 歩きまわって
   2 そのあげく
   3 狐にとられる
   4 金は木の葉
   5 女や子供に化けて
   6 男に化ける
   7 死んだ人に化ける

五 狐と人との攻防
   1 狐捕り

六 狐の霊威
   1 狐の霊威 
   2 戦争と狐

七 こわい狐
   1 こわい狐


  1993年10月8日第一版




  馬や猫に化ける p91

 ある人が商いに行ってよ、そしてひゃ、帰りしめいにひゃ、そのトンネルあるべしべ、
 そこに、そこ来る時によ、後さポンポンポンポンと跳ねだり、降りだりするもんだけど。
 で、先になったり、後になったりしてよ、よく見たば猫っこだっけどよ。それヒョイッ
 と抱いてよ、こうして来たんだと。へば、抜けてポンとまた降りてよ、後さジャイッと
 こう下がるおんだけどよ。したばよ、みんな全部背負ってら物、みんな干し魚かりられ
 でしまったけど、その猫っこになったのは狐だったってな。(秋田県平鹿郡山内村)




  魚をとられる p131

 明治三十年(1897)頃の話。明治三十五年生まれの母が話してくれた。
 魚屋が魚を仕入れて村へ帰る時、いつも通る鬼怒川の河原へ出ると夕暮れになっていた。
 すると見なれない茶屋があった。疲れていた魚屋は茶屋に入り越掛けていると、向こうを
 向いてお歯黒をつけていた女が魚屋の目の前で「ついたかね」といって歯をむきだした。
 魚屋は恐ろしさに「ついた、ついた」といって後ずさりした。こんなことを何度か繰り
 返しているうちに魚屋はごろりと転がり落ちた。気がついた魚屋がまわりを見ると河原の
 まん中にいた。魚の籠は空っぽになっていて、越掛けていたのは大きな河原の石であった。
 魚をねらった狐が魚屋をだましたということです。(栃木県河内郡絹島村)




  若い女に化けて p147

 昭和初年頃、戦前はこのあたり、村をはずれると一面の田圃が広がっていた。村はずれの
 阿弥陀仏は檀家も多く、古くから旧領主水無瀬中納言家の菩提寺で境内に墓地もある。こ
 の墓地はうっそうとした竹藪に囲まれ、ところどころに巨木が空を覆っていた。街道端で
 あるので夕方になるとその前を通ると淋しくて、日が落ちると人通りも稀だったが、よく
 その側のところで妙齢の娘さんが石に腰掛けているのに出会ったという。それはきっと狐
 が化けて人を騙しているのだと、噂が広まった。戦後住宅が建っちまって、その噂は消え
 てしまった。(大阪府三島郡島本町広瀬)


 日野へ行く道は今のように大きくなくて淋しい道であった。そこで屏風岩の所の狐がよく
 いたずらをした。美しい女になって黒いかねをつけて、白い手ぬぐいをかぶり、手拭の端
 をかんで、ニッと笑っているのである。狐だと知っていても美しいものだからつい迷わさ
 れて岩にぶつかったり、崖をころげ落ちたりした。(大阪府南河内郡高向村)



  稲荷の力さまざま p184

 戦時中、まだ大阪が空襲されない前のことです。
 下寺のM寺にKという80歳をこえた寺男がいました。若い頃は牛車ひきをしていたということで、
 中年からお寺に入ったといっていました。お稲荷さんをたいへん信仰して、私も時折り伏見稲荷
 のお山に誘われました。 遠い昔の話ですが、いつも驚いたのは、あの高い長いそしていくつも
 ある神社の石段を、全く風のように一気にあがってしまうことでした。参詣の人にはただ、
 あれよあれよというばかりで本人はいっこうに息ぎれもせず、みんなの到着するのをタバコを
 吸ってゆっくり待っていました。ある時、彼は私にこんな話をしてくれました。牛車ひきをして
 いた若い頃、あるお稲荷さんのある祠の樹の下で昼寝をしていたところ憑依されて、お稲荷さん
 を信仰するようになった。お稲荷さんの石段の鳥居の下に立つと数匹の狐が両肩に乗る。すると
 にわかに全身に力が充ちて、全くそれは何かに乗せてもらっているように、いとも軽快に一気に
 高い石段をかけ上れるというのでした。では狐数匹というのが、そのようなものがどうしてどの
 ように肩に乗るのかと問うと、彼は、いや狐とはいっているがネズミの少し大きいような動物
 で、石段をかけ上りながら横目で見ると数匹乗っているのがよくわかる。ただあとで、両肩や
 背中が土だらけになるのでそれが困る。だからいつも伏見稲荷には、よい服は着ていかないの
 だ、ということでした。(大阪府) 









 

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房総の伝説 荒川法勝編

日本伝説シリーズ1 
 房総の伝説 荒川法勝編 1973年4月初版
   絶版


 目次

千葉寺の戻り橋 (千葉市)
君待橋の由来 (千葉市)
平将門の陰武者 -七天王塚- (千葉市)
羽衣の松 (千葉市)
真間の手児奈 (市川市)
国府台と夜泣石 (市川市)
葛飾八幡宮の千本公孫樹 (市川市)
八幡不知森 (市川市)
ゆるぎの松と木食地蔵 (船橋市)
石芋伝説と竜神社 (船橋市)
滝不動 (船橋市)
鴨鴛寺 (八千代市)
八重桜の母御-荻生徂徠の伝説- (茂原市・成東市)
赤人塚・小町山・墨染桜 (東金市)
華蔵姫のお寺 (東金市)
東金に残る将門伝説 (東金市)

古墳上人塚 (佐倉市)
仁吉と三吉 (成田市)
星塚の物語 (佐原市)
矢作城址と白蛇 (佐原市)
大根の入定塚 (佐原市)
薄幸の妃 耳面刀自 (旭市)
大ねずみ退治武勇伝 (旭市)
稲主女物語 (香取周辺)
金売吉次の墓 (印旛沼周辺)
龍角寺の七不思議 (印旛郡栄町)
阿須波の神と柴押し (八幡宿)
首無しの阿弥陀様 (市原市)
漂流信仰の柳楯神事 (市原市)
逆さイチョウと鎌倉幕府 (市原市)
音信山ホトトギス哀歌 (市原市)
高蔵観音の霊験 (木更津市)

日本武尊と古代幻想 (木更津市付近)
田子台遺跡-万葉田児浦異説- (勝山市)
明鐘岬の怪異 (鋸南町)
刀切と鉈(なた)切 (館山市)
盗賊の切腹 (館山市)
伝説と信仰の山 (鹿野山神野寺)
壬申の乱異聞-小櫃川(おびつがわ)の伝説 (君津市)
海苔と甚兵衛 (君津市)
蟹の恩がえし (君津市)
玄番山の白蛇 (銚子市)
海底から呼ぶ声-幽霊船の謎- (銚子市)
陸に上がった海神の娘 (東庄町)
こえっぱの弁天さま (八街町)
夕顔観世音 (小見川町)
腹切りさま (小見川町)
千成松異聞 (印旛郡富里村)

比丘林の悲恋 (印旛郡富里村)
八幡岬と官軍塚 (勝浦市)
竜光山にまつわる悲恋物語 (鴨川市)
夢枕鮭の大王 (山田町)
山姥と金時-姥が谷- (夷隅町)
神話、海幸、山幸と寄り石の玉前神社 (一宮町)
一宮の三古伝 (一宮町)
笠森観音縁起 (長南町)
房総戦記-正木時堯の大長刀 (大多喜町)
那古の海の霊木 (那古舟形)
松戸の口碑伝説 (松戸市)
早稲米のふるさと飛血山の怪奇 (流山市)
藤姫の恋 (柏市)
手賀沼の主 (我孫子市)
飯高寺の狐 (八日市場市)

後記
執筆者紹介








 

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日本先住民族史
日本先住民族史 藤原相之助編 五月書房 大正5年12月28日発行


「先住民族とは現住民族以前にかつて占居せられし民族の称なり」の一文で始まる。本書は「天孫降臨の御事蹟」は「異人種征服の歴史」であるときっぱりと言い切り、それが現住民族以前に先住民族が存在した揺るぎのない証しでもあるのだよと続ける。びっくりぽんや。本書発行は明治の御維新から50年後の大正5年、「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」「天皇は神聖にしてこれを侵すべからず」と宣言した帝国憲法公布の明治22年からはまだ28年しか経っていない。「天皇は万世一系」と政府が言っているのに「記紀は異国の侵略者による先住民族征服の記録」みたいなこと言っちゃってだいじょぶだったのか?!

俗にいう白河以北の夷狄についての考察。いわゆる原住民である夷狄を外人と称す一方で日本人を外来種と認識している。政府による「天皇は万世一系」「日本人は単一民族」の方針は市民にとってはあくまで建前の政策に過ぎず、この本に貫かれている認識の方が、敗戦以降米国の植民地となる以前の日本市民にとっては余程自然だったのかもしれない。



  目次

 一 先住民族とは何ぞ


 ニ 日本の異人種
日高見国の所在 葦浦と玉浦 竹の湊と多賀国 隼人とアイヌ 蝦夷の首魁
田道の征討 伊寺の湊 形名の征討 陸奥の鎭所 阿部の臣の北征


 三 異人種の征服
渡り鳥は何処 異人種の征服 シリヘシとエフリサヒ(膽振鉏) 蝦夷の三種 蝦夷と仏教 
出羽の柵 出羽の建置 ヲロシベツ夷 須賀の夷 靺鞨(まつかつ)の勢力 靺鞨wikipedia
鎭所と鎭守府 丹取(にとり)の地 山海の両道 山夷・島夷・田夷 陸奥出羽の通路 
出羽の男勝(おかち)陸奥の桃生(ものう) 伊治の城 山海両道大討伐 俘囚軍の強男 
川船の水軍 伊治の大叛乱 膽澤(胆沢・いさわ)夷大討伐 兵制改革 官軍の失敗 
田村麿の大討伐 夷種を優遇す 悪路王の説 胆沢及志和の城 夷の驍勇と防人 
鎮守府の北進  閉(どじ?)・爾薩體(にさったい)・都母(つも)の戦 徳丹の城 
出羽の大地震 夷類不穏 庚申の迷信 出羽の震災 陸奥地震解海嘯 夷と太宰府 
新羅と北夷との関係 夷族と土器 諸国の夷族 五大菩薩 出羽の狄大いに乱るる 
出羽の兵制 国府の移転 管紀の弛癈 豪族の私闘


 四 衣河の夷族阿部氏と出羽の狄族清原氏
阿久利河 結婚問題と人種的争闘 銫屋・仁土呂・宇曾利の夷族 夷を以て夷を征す 
狄族清原氏 中山大風澤萩馬場 小松柵 石坂柵 衣川の柵 衣川館の位置 大麻生野と清原
鳥海柵の位置 瀬原の位置 鶴脛(つるはぎ)の柵と比与鳥の柵 清原の内訌 沼の柵 
金澤の柵 異民族の反抗心


 五 平泉の夷族藤原氏
肅愼(しゅくしん)挹婁(ゆうろう)の海蛮 『粛慎、挹婁』
平泉と仏教 平泉と源氏 悖倫(はいりん・倫に悖る・もとる)の一家 義経渡海説 
阿津賀志 道路の変遷 出羽海道と奥街道 葛岡城 高波々城 松山道津久毛橋 比内郡 
比爪 出羽征伐の行程 大河次郎(大河兼任wikipedia)の一族 八郎湖上の氷渡 米原と泉田 
宇曾利・多宇末井・花山


 六 異人種の同化
佐伯夷(佐伯経範・波多野氏wikipedia)の同化 防人は夷種の裔 異種族と氏族制度 
賤民制度 日夷の混血 諸国に分住せしめたる夷 山男山女 人種を憎まざりし理由 
内地夷は渡海せず 北海夷の伝説 夷種の適応力 酒と夷族 近親結婚と夷族 
安東氏と檜山氏 残酷なる蝦夷統治策 北海蝦夷退化の原因


 七 奥羽の植民史
植民は失敗せり 夷の馴化を奨励す 夷族を郡司とす 親日夷族と排日夷族 帰化夷の免租
言語風俗の同化 移民植民全く失敗 郡領夷酋は世襲 夷族の大蕃息 日本人は調停者なり


 八 異人種同化の経過
結婚問題 奥羽越人の相貌 錦木は夷俗 安東檜山の墟 文化年中の奥羽夷 正徳中の夷
羽州の山夷 夷族の体格 長髯 夷族の風紀 夷族の倫理観念 寛文中夷族征伐 夷族と狄族
金勢神 フナト・クナト・サイの伝説 生殖器崇拝の風 異種族結婚の利益 
奥羽とスコットランド


 九 日本人に関する一説
セレペスト(セレベス島=スラウェシ島?)神話と風俗  桃太郎童話


 十 異種族の言語
夷語の特色と日本古語 日本語変化の方式 思考の順序 スマトラ文字・神代文字


 十一 日夷同語の実例
日夷同根の語 ラ行をタ行に変ず


 十二 蝦夷語と日本の地名
往古の地理と松島の生成・海道の廃止 夷の神号と神道 結論


 付録 先住民族略図




2015年1月17日初めて読む
メモ:p382 390 498 548 548 550



藤原相之助に関する資料(レファレンス協同データベース)

なんだ、ここでも読めるや。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920983/8






 

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いろものせき 折口信夫

   いろものせき

うすぐらき 場すゑのよせの下座の唄。聴けば苦しゑ。その声よきに
白じろと更けぬる よせの畳のうへ。悄然(ボツサリ)ときてすわりぬ。われは
微風(チマタガゼ)砂吹き入れて、はなしかの高座のまたゝき さびしくありけり
誰一人 客はわらはぬはなしかの工(タクミ) さびしさ。われも笑はず
高座にあがすすなはち 処女ふたり 扇ひらきぬ。大きなる扇を
新内の語りのとぎれ おどろけば、座頭紫朝(シテウ)は 目をあかずおり
「富久(トミキウ)」のはなしなかばに 立ちくるは、笑ふに堪へむ心にあらず

 
折口信夫全集第24巻 海やまのあひだ 大正六年-百十二首- p64




wikipedia に、1917年(大正六年:折口31歳)1月私立郁文館中学(文京区)の教員となる、2月には「アララギ」同人となり選歌欄を担当する、とある。東京でのことを歌ったもののようだ。


★色物席とはweblio隠語大辞典

1.今日では、もう釈場、義太夫席、落語席といったような単独の席はなくなってしまって、どこの小屋でも皆、色物席になった。ここで色物席と厳密にいうならば、講釈場、義太夫席に対して落語のかかっている席のこと。〔芸能(寄席・落語)〕

2.〔用語〕講釈場、義太夫席等に対して落語の席を云つたもの。


とあり、講釈・義太夫を中心に対比された言葉なので、もとは関西で使われた言葉であると考えられるし、江戸・東京で義太夫節が落語と同等かそれ以上に盛んだったことも想像できる。


wikipedia寄席明治40年ごろの東京の寄席の項が興味深い。

1907年(明治40年)に東京市が編集発行した地誌『東京案内』は、明治末の東京を知るのに右に出るものはないとされている著名な出版物[13]である。明治39年末時点の東京がわかる。

きめ細かく網羅的に東京の事物が挙げられている中に、寄席に関する記述もあり[14][15]、まず東京市内・近郊で寄席の数は計141軒。 内訳は、まず講談が、おおむね各区ごとに一つはあり、24軒。
当時「色物席」という形で分けていた落語・色物の定席は、75軒。中には、有名な人形町末廣亭や神田・立花亭、上野・鈴本亭も含まれる。 浪花節席は、30軒。神田市場亭(後に入道舘→民衆座)が見られる。まんべんなくあるが、特に下谷区浅草区から本所区、深川区にかけて多く分布している。 現在は消滅した義太夫専門の定席が3軒ある。神田・小川亭、日本橋・宮松亭、浅草・東橋亭の名。 さらに、祭文[16]の席として下谷・竹町に佐竹亭の存在が確認できるのが、浪花節の歴史の点からも特筆される。 この他に、混成の席の中で、内藤新宿に末広亭(講談・色物)、品川に七大黒(色物・義太夫)の存在が確認できる。

という内訳であるが、演目は決して固定されていたわけではなく、多くが家族経営の零細企業であった寄席は[17]、かかる演目は席亭主の意向で自在に変わり、例えば色物席でも年に一度は必ずと言っていいほど義太夫がかかっていたという。

寄席の開演時間については昼席公演は少なく、夜席が多く、その終演は「午後10時から11時に至るを常とし」とある[18]。これにより一人当たりの口演時間が長い講談・浪花節でも「二軒バネ、三軒バネ」が可能であったことがわかる。また各演目別事情・料金等についても触れられている。当時の寄席用語として、付近八丁の寄席の客を奪うほど人気のある芸人という意味で「八丁荒らし」がある(むろん褒め言葉である)。

明治から大正にかけての時期には、寄席で源氏節、八木節、安来節[19][20]の全国的流行、関西においても河内音頭などが寄席の舞台に登場した。

上席下席の月2回入れ替え制だったものが、客の休日環境の変化[21]で1921年(大正10年)6月、現在に至る10日間興行に変わる。

1926年(大正15年)当時の東京市内の寄席については、日本芸術文化振興会により、ネット上に地図が編集・公開されている。

寄席名の後に「亭」や「席」をつけて呼ぶことが一般的であった。



★『東京案内』読んでみたい。


座頭の紫朝wikipediaの「俗に初代柳屋紫朝」と呼ばれている人のようだ。

俗に初代(富士松から入れると3代目) 柳家紫朝(1873年9月9日 - 1918年5月12日) - 越中富山の出身で若くして失明し1888年頃に久留米に隠居生活していた初代富士松紫朝の元で修行し紫玉と名乗る。左校と改名し地方廻りしている時に4代目柳亭左楽に見出され1896年に柳派に加盟。翌年初席から「三代目柳家柴朝」として出勤。「紫」に考慮して「柴」としたというが、大正に入り「紫朝」となる。本名:尾上 亀次郎または亀吉。墓所は谷中一乗寺。戒名は「温情院紫朝日唯信士」。

★没年1918年は大正7年なので、紫朝は死の間際まで高座に立ち、折口はその晩年を見聞きしたということになる。


★富久は落語の「富久wikipedia」。 youtube桂文楽「富久」


★『海やまのあひだ』は大正十四年五月三十日、改造社版の現代代表短歌叢書第五篇、自選歌集として出版(解題 p585)。


★大正七年初出の『方言(青空文庫)』で折口は

 此頃の色物席は恐ろしく不純で、お上品になつた為に、自在な東京下流の対話は、講釈場でなくては聞けぬ様になつた。わたしは、四五日方々の席に出かけて、下の用例を筆記して来た。

と書いている。東京へ出てすぐさま東京下町の言葉つまり「江戸ことば・江戸弁」のリサーチに取りかかっていたことがわかる。「恐ろしく不純で、お上品になった」とは、不純な話を上品な言葉のオブラートで包んでいるってことかな?


 2015年2月28日読む








 

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