妄想オムライス
床下は骨伝導 ワ((゚゚дд゚゚ ))ワワ !!!!!



瞽女唄 祭文松坂:葛の葉子別れの段

高田瞽女と葛の葉

「信太の森ふるさと館」常設展示 葛の葉伝説資料展示写真パネルより




 祭文松坂:葛の葉子別れの段

瞽女唄の表芸と言われる段物。口説き節と違い、こちらは七五調の文句で綴られる。古来の物語を唄にしたもので、中世の説教節が起源と言われる。




さればによりては これにまた
いずれにおろかは あらねども
種々なる利益(りやく)を たずぬるに
よき新作も なきままに
葛の葉姫の あわれさを
あらあら読みあげ たてまつる

夫に別れ 子に別れ
もとの信太へ 帰らんと
心の裡に 思えども
いや待てしばし わがこころ
今生の名残りに 今一度

童子に乳房を 含ませて
これより信太へ 帰らんと
保名の寝つきを 伺うて
差し足抜き足 忍び足
我が子の寝間へと 急がるる

我が子の寝間にも なりぬれば
眠りし童子を 抱き上げ
目をさましゃいの 童子丸
なんぼ頑是が なきとても
母の云うのを よくもきけ

そちを生みなす この母が
人間かえと 思うかえ
まことは信太に 棲家なす
春乱菊の花を 迷わする
千年近き 狐ぞえ

さはさりながら 童子丸
あの石川の 悪右衛門
常平殿に 駆り出され
生命あやうき 場所なり
その時此家の 保名さま

吾に情を かけたもう
多勢な人を 相手にし
ややしとしとと 戦えば
みずから命を 助かりて
そのまま御恩を 送らんと

葛の葉姫の 仮姿
これで添うたは 六年余
月日をおくる そのうちに
二世の契りを 結びしぞえ
つい懐胎の 身となりて

月日を満ちて 臨月に
生んだるそなたも はや五つ
われは畜生の 身なるぞえ
今日は信太へ 帰ろうか
明日はこの家を いでよかと

思いしことは 度々あれど
もっといたなら この童子
笑うか這うか 歩むかと
そちに心を ひかされて
思わず五年 暮しける

葛の葉姫は このときに
なれど思えば あさましや
年月包みし 甲斐もなく
今日はいかなる 悪日か
我身の化けが 現れて

母は信太へ 帰るぞえ
母は信太へ 帰りても
今にまことの 葛の葉姫が お出でぞえ
葛の葉姫が お出でても
必ず継母(けいぼ)と 思うなよ

でんでん太鼓も ねだるなよ
蝶々とんぼも 殺すなよ
露地の植木も ちぎるなよ
近所の子供も 泣かすなよ
行燈障子も なめきるなよ

何をいうても わかりゃせん
道理ぞ狐の 子じゃものと
人に笑われ そしられて
母の名前を 呼び出すな
その後成人 したならば

論語大学 四書五経
連歌俳諧 詩を作り
一字を二字とうかめつつ
世間の人みられても
ほんによい子じゃ 発明じゃと

狐の腹から 出でたとて
種は保名の 種じゃもの
あとの躾は 義母様と
みな人々に ほめられな
母は陰にて 喜ぶぞえ

母はそなたに 別れても
母はそなたの 陰に添い
行末長う 護るぞえ
とはいうものの ふり捨てて
なんとこれに 帰らりょう

離れ難ない 此方寄れよ
ひざに抱き上げ いだきしめ
これのういかに 童子丸
そちも乳房の 飲みおさめ
たんと飲みやいの 童子丸

母は信太へ 帰るぞえ
母は信太へ 帰りても
・・・・・
悲しいことが 三つある
保名さまとも そなたとも

左手と右手に 夫と子を
抱いて寝るよな 睦言も
夕べの添寝は これ限り
母は信太へ 帰りても
残る一つの 案じには

お乳がなくて この童子
なにとて母を 忘りょうぞ
忘れ難なき 憂き思い
いま一つの 案じには
人間と契をこめし ものなれば

狐仲間へ 交じられず
母は信太の くれきつね
身のやりどこも ないわいな
何としょうぞえ 童子やと
哀れなりける 次第なり

さて皆さまにも どなたにも
あまり長いも 座の障り
これはこの座の 段の切れ・・・





 瞽女さんの唄が聞こえる

瞽女さんの唄が聞こえる [DVD]瞽女さんの弾き語りが聞ける



   2014年2月5日聴く





 

 

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富崎春昇 笑顔

人形遣いの名人吉田玉造の孫は富崎春昇という地唄の名人だった、と知っていたのにそういえば春昇さんの地唄を聴いたことが無いのであった。amazonとかHMVで探すと、今CDで聴けるのはわずか一曲だけのようだ。なんでだー!


コロムビア 邦楽 名曲セレクション20 地歌箏曲(生田流)

コロムビア 邦楽 名曲セレクション20 地歌箏曲(生田流)
富崎春昇の貴重なCD音源

1. 笑顔   富崎春昇
2. ゆき   菊原初子
3. 五段砧 沢井忠夫
4. 残月   平井澄子


わたくしが邦楽に対しどんだけセンスがないかといいますと、子供のときに尺八の演奏をテレビで聴き、音が擦れてるからこの人ヘタ、と言い、父に、馬鹿だな尺八はそこがいいんじゃないか、と言われ、そういうもんか、と思っただけに留まった、と早くも幼少期に素養のなさを露呈したってくらいのセンスの無さを今もって保持しているのですが、そういう父も趣味のギターを弾くほかは積極的に音楽全般に親しんでいたわけではなかったな。

邦楽の拍子と節を案外複雑に感じるのは、なんとなく五線譜に置き替えながら聴いている所為かもしれない。が、春昇さんの地唄を聴くとほっこりと心地よい気分になる。おじいちゃんに昔話の本を読んで貰っているみたいな気分。

「笑顔」は様々な酒や肴を語呂合わせに列挙しながら宴の愉快に暫し憂き世を忘れさせ、最後に「飲めども尽きせぬ老いせぬは、子々孫々まで目出度いと、歌い奏でて祝しける」と寿ぐ、「これぞ浮世の機嫌上戸」。春昇さんの「ら行」がかっちょええ。「しそ〜しゅ」のところも。

春昇さんが一番好きだったという「十三鐘」(←志賀直哉が言ってた)を聴いてみたいぞ。

amazonで富崎春昇を検索したら自伝を見つけてしまったぞ。読みたいぞ。

でもほんとは今一番、ずっと前から一番読みたいのは勘十郎さんの芸談だぞ。そんなの無いぞ。






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小沢昭一

 心の師匠、小沢昭一さんが亡くなられた。役者としての小沢さんを殆ど知らないが、たまたま図書館で出会った著書によって、兼ねてから興味を抱いていた民間の伝承芸能がどんなものかを、するすると具体的に紐解かれたのであった。猿廻し、獅子舞、戎舞、紙芝居、幻燈、エトセトラ、エトセトラ。「伝承」の芸能とは言うけれど、今や絶えて久しいものが多い。小沢さんは失われる寸前の伝承芸能の残照が照り映える場所を、おそらくはご自身の嗅覚と肌合いでもって嗅ぎ付け、ご自身の足でいそいそとその足跡を辿り、終いには嬉々として自ら門付けを実行する。この本を読んでいる間は、小沢さんの探究心に導かれるまま好奇心を掻き立てられ、柄にも無く夢を追うような、だだっ広い気持ちになれるのだった。ロマンだなぁ、小沢さん。


 ものがたり 芸能と社会 小沢昭一

 芸能を 人を 愛している



 目次

芸能と私
遊びと芸能
芸能のはじまり
生業としての芸能
芸能と差別
商いと芸能
宴会と芸能
信仰と芸能
芸能の盛衰
芸能と悪所〔ほか〕

 参考文献が豊富なので、その気になれば際限なく世界を広げられる。





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桂枝雀落語大全第四巻
 千葉に居ながらにして頻繁に大阪言葉が聞きたいとなるとなんだろう?浄瑠璃のように節が付いていない普通の喋りで、今風じゃなくちょっと古典的であって、従って吉本以外・・吉本・・お笑い・・あっ上方落語!と思いつき、テレビの落語番組を録画しては関西弁の落語を選って聞いていたら、ダウンタウンのまっちゃんが桂枝雀がオモシロイ!と言っているところをたまたまテレビで見かけ、そんならと試しにとCDを聞いてみればこれがオモシロクテハマッタ。多分聞き取れていない部分もあるだろうがそれでもオモシロイ。踊りだしたくなるような枝雀のリズムとテンポが斬新。

 CDには枝雀の落語を文字に起こしたブックレットが付いている。大阪言葉の落語を文字で読むというのもなかなかオモシロイ。そのブックレットの巻頭にいろいろな著名人の枝雀賛が、たった1ページの短い文章だが寄せられている。第四巻の中島らもの「果てしなき闘い」という題名の枝雀との思い出話が心に残ったので覚え書き。

 笑いとは何かという話題になり、中島らもが「笑いとは差別だ」というテーマで、マルセル・バニョルの「笑いとは優者の劣者に対する感情の爆発である」とか、シュールレアリズムの「ディペイズマン」の手法「あるべきではないところに、あるべきではないものが存在することによって起こるインパクト」などをひいて考えを展開すると、それに対して枝雀は「合わせ」と「はなれ」の理論について説明してくれたそうだ。かれこれ4時間、わかぎえふのマンションでビールを飲みながら話し合ったと。枝雀が帰ったあと中島はわかぎえふに言った。「あんなに真剣に、論理的に笑いのことについて考えぬいていたら、逆に笑いがつくれなくなるんじゃないだろうか」  枝雀と落語の果てしなき死闘が始まったのは、その次の年からである。そうな。

 関係ないけど中島らもが男で、わかぎえふが女だとは知らなんだ。逆だと思ってた。

桂枝雀wikipedia



CDはダンナのお古のiphoneをipod代わりにして取り込んで聞いている。
枝雀落語大全(4)amazonで笑ってみる



枝雀は映像で見た方がよりよい。




だからこれ欲しくなっちゃうよ〜
桂 枝雀 落語大全 第一集 [DVD]枝雀落語大全DVDもあるでよ

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能と狂言 雙ノ会5

 王子ホール 銀座ぶらっとコンサート#47  能と狂言 雙ノ会5

 出演
田崎隆三(シテ方宝生流)
石田幸雄(狂言方和泉流)
水上 優(シテ方宝生流)
田崎 甫(シテ方宝生流)

 テーマ
新発見 能・狂言の謡を楽しもう PART II
  謡のしくみ
  恋の謡 能「井筒」、「松風」より
  狂言(当日発表)
  謡のワークショップ
  舞くらべ 「鉄輪」



 安いし気軽にぶらっと行ってみたら謡のレクチャーだった。チラシの内容をよく読まずに能と狂言の動きが見れると勝手に思っていたのでちょっと拍子抜けしたが、面白かったのだ。さて井筒、松風と謡ってくれるのだが、アタリマエだが声がいい。夕べほとんど寝ていなかったのでこれはBGMにして寝るしかないと思い仮眠を取っていたら、次のコーナーの冒頭で「寝ている人も居らしたようで」と指摘されてしまった。だって気持ちいいんだもん。それに音楽って寝ながらでも結構聴いているものなんですよ〜と心で言い訳して。 寝ていた人の目も覚めるだろうし、ここで羽衣を一緒に謡いましょう、というコーナーに突入し、プログラムに書かれている楽譜のようなものを見ながら、先生が一区切りずつ謡うのに習って会場の客全員がそれに続くのだが、音程を追うだけならなんとか付いて行けるもので、付いて行けると面白くなってくるもので、盛り上がって楽しかった。大きな声で歌わないと天女が空へ帰れませんよ、と言われても矢張り先生のように腹から大きな声を出すのはとても無理で、蚊の鳴くようなヒョロヒョロ謡になってしまうのだが、それにも関わらずブレスが続かずワンフレーズにつき1回から2回は息継ぎをしないと酸欠になるのだった。うーんプロの肺活量は凄いのだ。お客さんは殆どがオバサンだったが、日本人の音程が良いのはカラオケの効用か。「さあこれで天女は無事帰ることができ、寝ていた人の目も覚めたことでしょう」はいはいはいそんなに何回も言わなくったって起きましたわよ。

今日のためにわかりやすく西洋音階に変換した、羽衣の終局部分の譜面。Eが主音だったかな。
音階は総体的なもので何の音でも良いですと。音の運びがグレゴリオ聖歌みたい?
歌詞 愛鷹山や富士の高嶺 かすかになりて 天みつそらの 霧にまぎれて うせにけり 


本当の譜面はこちら。松風の詞章。

これは謡本と呼ばれ、いわば能のリブレット兼楽譜である。謡の稽古は口伝が中心であるが、西洋のクラシックほど厳密ではないにしろ記譜もされてきた。詞章を見るとわかるが、謡本には文章の横にゴマ点と呼ばれる記号が付されており、これによって音の上下や節付がわかるようになっている。謡本が町民層にまで普及したのは江戸期、バッハが宮廷作曲家として活躍したのと同じ頃だそう。謡の仕組みを簡単に言うと、基本的には「五七調からなる詞章を八拍子の枠内で謡う」と解説されることが多いのだが、一泊につき何文字をあてるかなどバリエーションがあったり、謡い方にしても曲によって音の厚みを重視したりメロディアスにしたりと様々。だそうです(プログラムより抜粋)


作品について

 井筒 
在原業平の妻の霊が夫の形見の装束を身につけ月明かりのなか懐旧の舞を舞う。伊勢物語にある「筒井筒」の挿話を本節とする。杜若とシチュエーションが似ていますね。それにしても伊勢物語が元になる作品はジャンルを問わず何かと多いのだ。

 松風
流刑地須磨の裏を訪れた僧侶は汐汲みの海女の姉妹に一夜の宿を借りる。姉妹はかつて在原行平と暮らした姉妹の亡霊であると明かし、形見の鳥帽子狩衣を身につけて舞う。

 羽衣
三保の松原、松の枝に美しい衣がかかっている。お馴染み天女の羽衣伝説をもとにした祝言性の高い曲だそうです。

 鉄輪
夫に捨てられた女が貴船神社に丑の刻参りをし、神託に従って鉄輪(かなわ 五徳)を頭にいただき鬼となって夫のもとへ向かう。夫は悪夢にさいなまれる日が続き、陰陽師安部晴明に相談をする。女の恨みと見抜いた晴明は女と対峙、鬼女は晴明の力に阻まれ「またくる」と言い残し退散する。


 最後の 鉄輪 は能と狂言同時に舞って見せてくれた。この作品は能と狂言では謡のもテンポもカウントも全て違うが、狂言が無理やり能に合わせて舞ってくれたそうです。同時に見比べる機会なんて滅多にないから面白かった。当然能の方が抑制された動きであるが、狂言だって歌舞伎に比べれば全然内省的に見える。 この作品 鉄輪は、女が最後に「また来る」と言い残してゆくところが怖いので、例えば葵上の六条の御息所は祟っている自分を恥じて退散するという奥ゆかしさがあるが、鉄輪の鬼女は諦めず I'll be back なわけだ。こっちの方は執念深くて怖いんですよね〜という解説に場内ウケていた。

 終演後石井先生のコメント「能狂言は一度見て面白いと思えるものでは無く、初めのうちは我慢(場内爆笑)していただいて、我慢して何度も見てやっとよさがわかってくるという伝統芸能です。是非みなさん能楽堂の方にもぶらっと訪れて能と狂言に親しんで下さい」 我慢かぁ。そういう側面もあるよね確かに。無理せず初めは我慢してますと言いながら見ればよいのだな。

 衣装の着付けも最初にやって見せてくれたのだった。下半身だけに着物を巻いてその上からなんとか言うガウンを装着。能の素踊りを仕方(しかた)といい、顔を面と見做した能面を付けない状態を直面(ひためん)という。 ある西洋人の歌の大先生曰く、オペラやミュージカルや日本の謡にしても「上手い人はここから声が出るものです」と背中の下の方、腰のあたりを指差して仰ったと。ふ〜ん、そういうもんかなぁ。「私はあんまり信じてないですけどね、実は」と石井先生のオチが付いて。

 気軽にぶらっと1時間半程度なのにこの情報量、アンド開演の前後にフリードリンクと云ってコーヒー紅茶お菓子が無料で振舞われ、たったの2500円ポッキリ。王子ホール太っ腹なのだ。終演後のコーヒー美味しゅうございました。
                               
              1月25日  於:王子ホール    ブラックエクセスフォーハー





 早く終わったので東京までぶらぶら歩き、三菱美術館のカンディンスキー展へ。色彩が綺麗だけど抽象画のカンディンスキーは意味不明かも。睡魔に襲われながらの鑑賞だったからかなぁ。カンディンスキー周辺の人達の作品に面白いものが数点あった。レンバッハハウスって行ったことある筈なんだけど再会を果たし懐かしめたのは、マルクの三色の牛と、カンディンスキーのロシアの夜の風景の2点だけ。あとは忘却の彼方。


     

 国際フォーラム西の斜め向かいに美術館があるとは知らなかった。建物自体が歴史のあるもののようで、中は意外にもパティオス形式になっており、洒落たレストランやコーヒーショップもちゃんとあって、木々や草花が植えられオブジェの周囲にベンチが並び、憩いのスペースになっていた。古きよき昭和のビルジング。 帰りの電車で爆睡。

  カンディンスキー展    1月25日   於:三菱一号館美術館


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