妄想オムライス
床下は骨伝導 ワ((゚゚дд゚゚ ))ワワ !!!!!



三輪山まとめ

 

大神神社の御祭神は「大物主神」であります。

 大神神社

 

 

 

大物主 wikipedia をそっくりコピペして手抜きまとめ。

 

 

 

 

 大国主神と大物主神

 

『古事記』によれば、大国主神とともに国造りを行っていた少彦名神が常世の国へ去り、大国主神がこれからどうやってこの国を造って行けば良いのかと思い悩んでいた時に、海の向こうから光り輝く神様が現れて、大和国の三輪山に自分を祭るよう希望した。大国主神が「どなたですか?」と聞くと「我は汝の幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)なり」と答えたという。『日本書紀』の一書では大国主神の別名としており、大神神社の由緒では、大国主神が自らの和魂を大物主神として祀ったとある。

 

 三輪山

 

 

 

 

 勢夜陀多良比売との出逢い

 

古事記・神武紀によると、三島溝咋(ミシマノミゾクヒ)の娘の勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)が美人であるという噂を耳にした大物主は、彼女に一目惚れした。勢夜陀多良比売に何とか声をかけようと、大物主は赤い矢に姿を変え、勢夜陀多良比売が用を足しに来る頃を見計らって川の上流から流れて行き、彼女の下を流れていくときに、ほと(陰所)を突いた。彼女がその矢を自分の部屋に持ち帰ると大物主は元の姿に戻り、二人は結ばれた。こうして生れた子が富登多多良伊須須岐比売命(ホトタタライススキヒメ)であり、後に「ホト」を嫌い比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)と名を変え、神武天皇の后となった。

 

 率川地蔵

 

 

 

 

 倭迹迹日百襲姫の悲劇

 

箸墓古墳と関連があるとされる伝承である。倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)は、夜ごと訪ねてくる男性に「ぜひ顔をみたい」と頼む。男は最初拒否するが、断りきれず、「絶対に驚いてはいけない」という条件つきで、朝小物入れをのぞくよう話した。朝になって百襲姫が小物入れをのぞくと、小さな黒蛇の姿があった。驚いた百襲姫が尻もちをついたところ、置いてあった箸が陰部に刺さり、この世を去ってしまったという。

 

 箸墓古墳

 

 

 

 

 活玉依比売の懐胎

 

活玉依比売(イクタマヨリビメ)の前に突然立派な男が現われて、二人は結婚した。しかし活玉依比売はそれからすぐに身篭ってしまった。不審に思った父母が問いつめた所、活玉依比売は、名前も知らない立派な男が夜毎にやって来ることを告白した。父母はその男の正体を知りたいと思い、糸巻きに巻いた麻糸を針に通し、針をその男の衣の裾に通すように教えた。翌朝、針につけた糸は戸の鍵穴から抜け出ており、糸をたどると三輪山の社まで続いていた。糸巻きには糸が3回りだけ残っていたので、「三輪」と呼ぶようになったという。

 

 苧環塚

 

 

 

 

 意富多多泥古の祭祀

 

崇神天皇が天変地異や疫病の流行に悩んでいると、夢に大物主が現れ、「こは我が心ぞ。意富多多泥古(太田田根子)をもちて、我が御魂を祭らしむれば、神の気起こらず、国安らかに平らぎなむ」と告げた。天皇は早速、活玉依比売の末裔とされる意富多多泥古を捜し出し、三輪山で祭祀を行わせたところ、天変地異も疫病も収まったという。これが現在の大神神社である。なお、『古事記』では、三輪大神は意富美和之大神とされる。

 

 若宮社

 

 

 

 

その他


杉玉
明治初年の廃仏毀釈の際、旧来の本尊に替わって大物主を祭神とした例が多い。一例として、香川県仲多度郡琴平町の金刀比羅宮は、近世まで神仏習合の寺社であり祭神について大物主、素戔嗚、金山彦と諸説あったが、明治の神仏分離に際して金毘羅三輪一体との言葉が残る大物主を正式な祭神とされた。明治の諸改革は王政復古をポリシーに掲げていたので、中世、近世のご本尊は古代の神社登録資料にも沿う形で行われたので必ずしも出雲神への変更が的外れでなかった場合が多い。

 

大物主の信仰の古さは記紀から伺うことができる。古事記による神代の記述によれば大物主が大国主によって三輪山に祀られるのは国造りの段階であり、これは国譲りによって大国主自身が出雲に祀られるより前である。また日本書紀によれば大物主に対する祭祀は崇神天皇の代に中興されたと考えられるが、その崇神天皇の孫にあたる倭姫命によって天照大神が伊勢に祀られた。

 

「日本書紀」神功皇后摂政前紀において、気長足姫尊が筑紫に大三輪神社を創祀したところ新羅遠征のための軍兵がうまく集まったとの記述がある。このことから、大物主は水神であるとともに軍神・国の守護神であったことがうかがえる。

 

日本酒の造り酒屋では風習として杉玉を軒先に吊るすことがある。これは一つには、酒造りの神でもある大物主の神力が古来スギに宿るとされていたためといわれる。

 

 大西酒店

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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三輪山 とな荼妬

 

 

苧環塚のがんこちゃん、ではまたね。

 

 

更にこの先へ進む、と。

あのこんもりと盛り上がった森がもうそうなんじゃないかな。

 

 

そのようだ。

ホケノ山古墳と桧原神社はまた次回。

 

 

ここを左、と。

 

 

どうやら「大市墓兆域原標」と読める。

墳墓のエリアを示すもののようだ。

 

 

拝所はあっちだったかな?

 

 

なんぞ看板が。

 

 

宮内庁だって!

そらそうだけど、実際宮内庁が管理しているのねえ。

 

 

振り返って見れば三輪山が見守ってくれているような気がしちゃったりなんかして。

都合がいいなオレ。

 

 

お、ここから行けそうよ、いってみよー。

 

 

拝所に来た。お媛さまこんにちは!

こんにちは、こんにちは!

 

 

孝靈天皇皇女倭迹迹日百襲姫命 大市墓

一、みだりに城内に立ち入らぬこと

一、魚鳥等を取らぬこと

一、竹木等を切らぬこと

 

宮内庁

 

 

「大市墓(おおいちぼ)」の「大市」は場所の名前のようだ。

倭迹迹日百襲姫命は大市(おおち)に埋葬されたと『日本書紀』にあるらしい。

今この辺りの地名は「箸中」という。

 

「倭迹迹日百襲姫命」は、

「やまとととひももそひめのみこと」或いは「やまとととびももそひめのみこと」

と読む。

 

「日本書紀巻第五」より、箸墓について述べている部分を見てみよう。

 

是後、倭迹々日百襲姬命、爲大物主断刑福A蛎櫛綻閇貮垳而夜來矣、倭迹々姬命語夫曰「君常晝不見者、分明不得視其尊顏。願暫留之、明旦仰欲覲美麗之威儀。」大稚曰「言理灼然。吾明旦入汝櫛笥而居。願無驚吾形。」爰倭迹々姬命、心裏密異之。待明以見櫛笥、遂有美麗小蛇、其長大如衣紐、則驚之叫啼。時大値恥、忽化人形、謂其妻曰「汝不忍、令羞吾。吾還令羞汝。」仍踐大虛、登于御諸山。爰倭迹々姬命、仰見而悔之急居急居、此云菟岐于、則箸撞陰而薨。乃葬於大市。故時人號其墓謂箸墓也、是墓者、日也人作、夜也炭遏故運大坂山石而造、則自山至于墓、人民相踵、以手遞傳而運焉。時人歌之曰、

飫朋佐介珥 菟藝廼煩例屢 伊辭務邏塢 多誤辭珥固佐縻 固辭介氐務介茂

 

意訳してみよう。

 

「このあと倭迹々日百襲姬命は大物主神の妻になった。しかし大物主は昼は現れず夜にばかり逢いに来る。姫は夫に言った。「昼間にあなたの顔を見たことがありません。願わくば今しばらく明るくなるまで留まって、日の明かりのもとであなたの美しい顔を見せて下さい。」。大物主答えて曰く「そう云われるのも然り。明朝君の櫛箱に居るから見るとよいが、驚かないでおくれよ」。姫は内心訝しく思いながらも夜明けを待って櫛箱を開けて見た。すると中には美しい小さな、着物の紐のような蛇がいるではないか。姫は驚き悲鳴を上げた。その時大神は恥じて忽ち人の姿になって姫に言った。「きみは我慢できずに私に恥をかかせたから、お返しに私も君に恥をかかせよう」。だから山に登る(山に帰る?)。姫は仰ぎ見て悔みこれ(?急居急居、此云菟岐于?)すなわち箸をホト(陰部)に刺して死んでしまった。姫は大市に葬られた。故に当時の人々はこの墓を「箸墓」と名付けた。その墓は昼は人が、夜は神が作った。大坂山の石で作ったので、すなわち山から墓に至る間に人々は並び手渡しで石を運んだ。時の人が歌って曰く、意味不明」

 

もーわかんない。聞き齧った話と合わせてなんとなく解読してみたけど超イイカゲン。

現代語訳を捜してカンニングしよう。

 

 飫朋佐介珥 菟藝廼煩例屢 伊辭務邏塢 多誤辭珥固佐縻 固辭介氐務介茂 の歌は、

「おほさかに つぎのぼれる いしむらを たごしにこさば こしかてむかも」と

読むのですと。ここは当て字なのか〜。

採石した大坂山は奈良県内にある山のことだそうです。なーんだ、大阪じゃないんだ。

 

  wikipedia 倭迹迹日百襲姫命

 

  wikipedia 箸墓古墳

 

  日本書紀、全文検索 

 

 

 

倭迹迹日百襲姫命=卑弥呼説も多く検証されているようだ。

 

 

 

 

 大和名所図会・四 

http://libir.mukogawa-u.ac.jp/dspace/handle/10471/588

 

 

箸墓 箸中村にあり
むかし崇神天皇紀十年に倭迹々日百襲姫命に
是孝元天皇の皇女則崇神天皇の姑内親王(おばみこ)なり質性聡明にして能(よく)未然を識(しり)
ある時和珥童女(わにのいらつめ)の歌を聞て武埴安彦(はにゆやすひこ)の謀叛を察し給ふなり
夜々大物主神かよひ給ひしか昼は見へず夜のみ来たらせ給ひき
姫皇子かの夫(せな)にいふやう君常にいかるれば昼は見へ給はずしばらく
とゞまりにして美麗威蔵(いつくしきみすがた)を見ん事を思ふ大神われあした汝の
櫛司(くしげ)にいなん我かたちにおどろく事なかれ姫こゝろのうちにあやし
とおもひなから明(あく)るをまちて櫛司を見ぬればうつくしき小蛇(おろち)
ありけり只衣の紐の如し則おどろきさけぶの時大神忽に人の形と
なり汝(いまし)しのびずして我にはぢ見せつ我又汝にはぢ見せんとて
大虚(おおそら)をふみ御諸山(みもろやま)にもほり給ひしなり姫いとくやしくおもひて箸もて
陰(ほぞ)をつきて命なくなり給へば則大市に葬りけりこれより人みな
箸墓とはいふなり此塚を昼は人こぞりて築き夜になりぬれば神の
つくり給ふしかあれば大坂山の石を運び山より墓まで人民相踵(つぎ)
手逓傳(たにしまし)て運びき時の人哥ふ 日本紀
おほさかにつきのぼれるいしむらをまこしにこさまこしかてんかも
土人の諺に曰むかし此里に箸中長者といふ人ありきはめて富貴にくらしける一度
貧賤にならんと願ひしにある人教て曰箸を日毎にかへて新箸を用ゆべし共
ねがひ成就せんといふ長者をしへのことく毎日箸を捨てこゝに築きしより
箸塚といふとぞ

 

 

 

 

 

長い名前のお姫さまさようなら。

池の方へ周って古墳の全体像を撮りたかったが多分もう時間切れ。帰らなきゃ。

 

 

巻向駅の方が近いけど、駅前の店で奈良漬を買うと約束したから三輪駅に戻るぞ。

 

 

今朝寝坊したばっかりに。ばかだねぇ。

もと来た道を戻り、

 

 

運の良いことに丁度電車の来る頃合いに三輪駅に着いた。

きっとお三輪さんのお導きだ、有難や。

念願のきゅうりの奈良漬を買い、

 

 

ホームから三輪山を御名残りの撮影。

思えば今回来る時に乗った飛行機は、いつも座る側とは逆側の窓際の席だったのだけど、

 

 

雲が晴れたと思ったらこのような景色が眼下に広がったのであった。

 

 

ええ、こりや三輪山ではないかいの。

それが証拠に、

 

 

池を従えた姿が特徴的な、あれは箸墓古墳。

 

 

ならばあれは耳成山。

                                        by yahoo!地図

 

三輪山登拝を目的に来たこの度に限っていつもと反対側の席に座り、

そのために空から三輪山を拝むことになるなんて、

なんだかもう既にこの時から奇跡のように感じていたのであった。

 

 

只今16:40.

お三輪さんありがとう!奈良サイコー!奈良漬サイコー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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三輪山 C環塚

 

若宮さん、遊んで下さってありがとうございました!

扨、ちっとばかし遠回りになるが参道へ戻って、

 

 

大鳥居の先を右へ、大通りの一本内側の路地といいますか、街路を行くのだ。

 

 

これを真っ直ぐ行けば迷わず苧環塚へ達する筈。

 

 

もうね、そこらの道端の溝の水ですら綺麗なんですよ。

こりゃ三輪の酒が、ひいては奈良漬が美味しいわけだ。

 

 

橋に差し掛かった。

 

 

 

わーなにこの古式ゆかしげな車輪や、

 

 

農機具の一部みたいなのは。

脱穀機かいな。

 

 

「農林規格 Ⓚ 人力脱穀機」って書いてあるよ。人力だぜ!

博物館のようだぜ!

 

 

橋詰の灯籠には「大神宮」とある。大神神社のものでせう。

紅葉に西日が美しくってよ。

 

 

あとで調べたところ、この川は纒向(まきむく)川というらしい。

水がなく草がずーっと生い茂っている。

 

 

橋を渡ったすぐ先に大きな池。

あっ、

 

 

カワセミ!と思って写真を撮る間もなく飛び去ってしまった。

美しかったなぁ、生れて初めて見たよ野生の翡翠!

 

 

やっぱり水がきれいなんだなぁ。

 

 

お?「縁結び・赤糸の小道周遊ルート」ですと。

古事記に綴られた「赤糸伝説」を体感する周遊ルート(約4km)です。

活玉依姫(かつたまよひめ)と大物主は一本の糸で結ばれていました。

この事より、恋人同士が赤い糸で結ばれていると信じるようになりました。

この赤糸発祥の地を二人で辿ってみませんか。

 

と書いてある。

 

 

苧環塚もコースの中にあるよ、ほら現在地のところに。

って、

 

 

ここ苧環塚じゃーん!

パワースポットが100もあるという桜井市おそるべし。解説もパワスポについてのみで、

 

 

苧環塚の由来抔たれも黙して語らず。 誰そ なんかしゃべってくれ。

巌に引っ込んだかたつむりみたいにだんまりを決め込むおだまきがんこちゃん。

 

 

神秘としておきやしょう。お三輪ちゃん縁の苧環塚に来れて、

 

 

わっちゃ嬉しいよ。

 

 

苧環塚ちっちゃ。

 

 

カワイイよ。

 

 

箸墓古墳もすぐそこだよ。

 

 

 

 

 

 

 

古事記に、三輪山付近に活玉依媛(いくたまよりひめ)という美しい姫がいて、

夜毎通う男がいました。やがて姫は懐妊。親は男の正体を知るため、寝床の

あたりに赤い土をまき、苧環(おだまき)の絲の端を針にとおして、男の着物の裾に

刺しておくよう親からいわれました。

 

娘は教えられたようにしました。翌朝、その糸の端は三輪山にいって止まり、

あとには三輪だけ残っていました。姫はここで始めて男が神のみこと(大物主神)と

知り、残りの糸を土に埋めました。それがこの苧環塚です。 

 

 桜井市観光協会のページより

 

 

 

 

大和名所図会・四

 http://libir.mukogawa-u.ac.jp/dspace/handle/10471/588

 

緒環塚 おだまきつか
街道の東のほとりにかたばかり
のこりてこれをおだまき塚といふ

むかし大巳貴神(おおむなちのかみ)妻をもとめ
結はんと天羽車(あまのはくるま)にめして虚空(おおそら)をかけり 節渡縣(せとのさと)にをりひそかに
大胸祇(おほみはつかさ)のむすめ活玉依姫(いくたまよりひめ)に通ひ給ひしが その通路(かよひじ)を人のしる
所にあらざりけり其女はじめて孕(はらみ)給ひけり父母あやしみ
誰人の通ひ来けるにや女(むすめ)いふゆうこくに神人ありて尾上より
かよひ給ふしかれば苧玉巻に針をつけその裳(も)すそをさして
後をしたひ行に鍵の穴より出て節渡山を経て吉野山
に入三諸山(みもりやま・三輪山)にとゞまりけりその糸の三勾(みわげ)のこりしより三輪山

とはなづけたり  旧事記

 

 

 

 

 

 

 


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三輪山 ⊆禝楴

 

 〽かけりゆく〜

 

 

御世話になった狭井神社をお暇し、若宮社へ直行。

今朝寝坊したから、なんだかんだもう午後3時を回ってしまっている。

 

 

とっとこ急げ。

 

 

うわ、でっかい杉!これが「おだまき杉(緒環杉)」かな?

ということは、

 

 

若宮社!

白木の鳥居と緑青色の扁額が初々しというかいかにも若々しい色調ですてき。

 

 

「あ」

 

 

「うん」

 

 

手水舎。

 

 

本殿。はじめましてこんにちは!

 

 

案内板を読みませう。

 

大神神社摂社 大直禰子神社(若宮社)

 

 御祭神 大直禰子命(おおたたねこのみこと)
 御例祭 四月八日

 

(御由緒)


御祭神の大直禰子命は大物主大神のご子孫です。
第十代崇神天皇の御代に疫病が大流行し、国難がおこった時、天皇の御夢にあら

われた大物主大神の神託にYって、茅渟県陶邑(ちぬのあがたすえむら・現在の堺市)

に大直禰子命を見出され、大神を祀る神主にされると疫病は治まり国が平和に栄えた

とされます。


また御祭神が大物主大神のご子孫であることから若宮社とも呼ばれ、春の大神祭

(おおみわさい)では若宮の御分霊が神輿に遷され、三輪の町を巡幸されます。
神仏習合の時代は大神寺(おおみわでら)、後に大御輪寺(だいごりんじ)として
永らく大直禰子命の御神像と十一面観音像(国宝・現在は市内の聖林寺に奉安)
があわせ祀られてきました。本殿には奈良時代の大神寺創建当初の部材が残って
おり、貴重な神宮寺の遺構として国の重要文化財に指定されています。

 

 

もとはお寺だったのね。

 

 

 

御饌石(みけいし・饌は「そなえ」)

案内板には、

 

この御石はお正月のご神火まつりの時、
久延彦神社に神饌をお供えする石です。
知恵の神様久延彦神社へ御参り出来ない方は
ここから遥拝してください。

 

 

大神神社のしるし三本杉。

 

 

琴平社。

大物主神を祀っている。大直禰子のお父さんということであります。

 

 

 

御誕生所社。御祭神は 鴨津美良姫命(かもべのみらひめのみこと)。

大直禰子のお母さんということであります。

 

 

「御誕生所社」って響きがカワイイな!

ここも磐座。三輪はお山のてっぺんをはじめ、磐座が多い。

 

 

今一度、おだまき杉。

大神神社のサイトより以下拝借。

 

 

『古事記』に大物主大神おおものぬしのおおかみと活玉依姫(いくたまよりひめ)の恋物語が記されています。美しい乙女、活玉依姫いくたまよりひめのもとに夜になるとたいそう麗しい若者が訪ねてきて、二人はたちまちに恋に落ち、どれほども経たないうちに姫は身ごもります。

 

姫の両親は素性のわからない若者を不審に思い、若者が訪ねてきた時に赤土を床にまき、糸巻きの麻糸を針に通して若者の衣の裾に刺せと教えます。翌朝になると糸は鍵穴を出て、後に残っていた糸巻きは三勾(みわ)だけでした。さらに糸を辿ってゆくと三輪山にたどり着きました。これによって若者の正体が大物主大神おおものぬしのおおかみであり、お腹の中の子が神の子と知るのです。この時に糸巻きが三巻き(三勾)残っていたことから、この地を美和(三輪)と名付けたということです。

 

この物語は大神神社の初代の神主である意富多々泥古(おおたたねこ)の出自を述べるところで記されていますが、糸巻きのことを苧環(おだまき)とも呼び、糸をたよりに相手の正体を探るという説話は苧環おだまき型と言われて、類似した説話が全国各地に広がりをみせます。『古事記』のこの物語はその原型ともいえるでしょう。

 

オオタタネコを祀まつる大直禰子おおたたねこ神社の入口脇に、おだまき杉といわれる杉の古株が残っており、物語に登場する活玉依姫いくたまよりひめの苧環おだまきの糸がこの杉の下まで続いていたという伝説が残されています。

 

 

この神話も「十三鐘」や「衣掛柳」の伝説と共に

人形浄瑠璃『妹背山婦女庭訓』に巧みに取り入れられているのねー。

近松半二って天才だな。

 

 

数年前に若宮社を訪れた方々のブログを拝見すると、

 

配神 少彦名命 (すくなびこなのみこと) 

   活玉依姫命(いくたまよりひめのみこと)

 

と、かつては案内板に書かれてあったとわかる。わたくしが行った時には

「御祭神」と「御例祭」のみの記述で、何故か「配神」の項はなくなっておった。

 (上記案内板参照されたし)

 

 

 

三輪明神 大神神社

http://oomiwa.or.jp/jinja/kamigatari/

 

 

 

次は「おだまき塚」に行ってみよー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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三輪山 ‥佛

寝坊したんですよ。

前日見た文楽のせいでコーフンして眠れなかったんすよ。

 

もうね、

気絶して脱臼して救急車と消防車とJAFに一斉にサイレン鳴らしながら迎えに来て貰いたいくらい

 

凄かった。

 

昼も夜も、あっち向いてもこっち向いても超絶技巧と感動のオンパレード。

 

文 楽 す ご す ぎ。

 

凄いすぎてハゲるかと思った。

 

やっぱり本当に「いいもの」は時々見るべきだな。うん、見てよかった。

ホンモノのイイモノを堪能して寿命が延びた気がする。

 

 

ああ眠いよぐだぐだと。身を起こし。

脳味噌ボケボケのまま奈良方面行きの電車に乗り運良く座れたので終点高田まで爆睡、

高田で降りたら程なくして同じホームの反対側に奈良行きが来たのでボンヤリ乗車。

 

 

あら着いた、目が覚めた!

また来たんだも〜ん、4月ぶりだも〜ん。

 

 

まずは二の鳥居へ。

ここを左へ曲がると、

 

 

そうめん処「森正」がある。

『冥途の飛脚』の梅川・忠兵衛が逃避行中に実際に立ち寄った三輪の茶屋「竹田屋」

という旅籠屋の門が移築されている。詳細はこちらをご覧になって。

 

 

さて、いよいよ、

 

大神神社に参拝し御挨拶の口上を口の中でもごもごと。

お三輪さん、本日はお山詣でに参りました宜しくお願い致しますもごもごもご。

 

 

逸る気持ちを抑えつつ、三輪山への入口「狭井(さい)神社」へと向かう。

 

 

奉納菊花展開催中。きれいだな。

 

 

菊のいい匂いに誘われて蝶々。舞い踊っては花に休息。

ゆっくりと羽を広げたり閉じたりしていたけど、蝶じゃなくて蛾なのかな?

 

 

くすり道を通って、

 

 

狭井神社。

あ゛〜ん来た〜〜〜!

 

 

手水舎で身を清めながら気持ちを落ち着かせようと努める。

 

 

こんにちは!今日はよろしくお願いします。

本殿右にある受付で登拝を申し込む。

 

 三輪山登拝について/大神神社 http://oomiwa.or.jp/jinja/miwayama/tohai/

 

 

〽旅の衣は篠懸の〜 お借りした襷を首にかけ、

首に掛けて歩くと鈴がチリリンと鳴るのよ。 そして戴いたお山の地図と、

 

 

用意して来たペットボトルに汲んだ御霊水を持って、

 狭井神社の霊泉

この霊泉は神体山・三輪山から滾々と湧き出た
御霊水で清澄且つ一種の風味を称え遠近より
拝受に来る者四時絶える事がありません
酒造家は醸酒 製薬業者は製剤に 更には書画に
精進される方はその用水にいずれも広大な霊徳を
頌して当狭井神社の御神威とともに天下に伝承
せられています

 

 

お山の入口へ。

写真には写っていないが右側にある御幣のようなものを説明書きに従って振り自ら身を清め、

程良い長さの杖を選びお借りしたならば、

 

 

いざ行かん。

 

 

 

 

 

 

 

三輪山は標高467.1m。

登ったことの有る天拝山は257.4m。思い返せば天拝山のあの時は、

汗だく足ガク息切れヒーハー瀕死のヨレヨレになったのであった。

三輪山はあの時よりもっと高い。わー登りたいけど絶対無理!

 

てなわけで4月に初めて三輪に来た時には登拝を諦めすごすごと千葉へ帰り、以降

毎日スクワットとプランクを欠かさず、週に一度か二度は10km〜17kmを

歩いたり走ったり、なるべくエレベーターは使わず階段を昇降するなど、

少しずつ時間をかけてだけど、ちょっと本気で鍛えて出直したのであるよ。

 

そう、今日という日の為にめずらしく頑張ったのオレ。

 

 

ほんじゃ出発!よろしくお頼み申します。

折角お山に入れて貰うのだから空気や景色を味わいながらゆっくり登ろう。

 

 

ほんでどうだったかっていうと、

人々に道を譲り追い抜かれながら、 ゆ っ く り 一歩 一歩 、

ほぼ休憩なしで殆ど息切れもせずに登りきれたのには我ながらびっくり。

 

12:30にお山に入り、奥津岩座に着いたのが13:30、

14:00に下り始めて狭井神社に戻ったのが15:00、と、

絵に書いたように片道1時間、往復2時間の登拝となったのであった。

 

きっとお三輪さんが助けてくれたんだよ!

 

幸い晴天続きだったので足元は概ね渇いており歩きやすかった。

強いて言えばの三光の瀧周辺が地面から水が滲み出ているようで湿っておった。

滑りやすい場所ではやはり上りより下りが要注意だったな。

 

裸足の方が幾人もいらした。

神聖なお山に土足で立ち入るのを憚って靴を脱ぐのだそう。

 

下りの時、途中で数人の方々が午後の木漏れ日を拝んでらして、

なんだろうと思い立ち止まって一緒に混ざって見て居たら、

陽の光の色を変えます薄ピンク!と色を宣言し大声で念仏を唱える男性、

すると周囲の女性陣が、あーほんとだ変わった変わった薄ピンクになった!と。

 

わかりましぇーん。

 

再び下山を続け暫く行くと、突如、行き交う人の姿が消え、

気が付けば森の中にわたし、たったひとり。

わあ、わたし今お三輪さんを独り占め!

と思ってあたりを見廻せば、

揺れる梢の間から優しい光が漏れ、沢を流れる水の音、遠くに鳥の声、そよと風、

静寂に鳴り渡る、ぐうぅぅ〜

お腹すいたー!

 

文楽を見ていなかったら三輪に来なかったし、ましてや

三輪山に登るなんて思いもよらなかった。天拝山然り。

 

昨日の文楽はすごかったし、三輪山へ無事お参りできたし、お腹は空いたし、

なんだか生きているのが嬉しくなって、幸せを噛みしめながらあとは急ぎ足、

 

襷を返却してお礼を申し上げたら、前回行けなかった 若宮 指して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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