妄想オムライス
床下は骨伝導 ワ((゚゚дд゚゚ ))ワワ !!!!!



三輪明神の大鳥居〜綱越神社
近鉄桜井駅から山野辺の道を所々見学しながら約1時間10分歩き、


三輪明神(大神神社・おおみわじんじゃ)の南出入口に到着したっぽい。



うきゃー大神神社の拝殿がすぐそこに見えちゃった!こんにちは!

後ほどお伺いいたします。


彼方を望めば大鳥居。

まずはあの鳥居を目指して下ろう。

三輪の大鳥居にはずっと前から憧れていたんだ。



ずんずん下りて、

ここで右折し、三輪駅方面へ向った。



二の鳥居から駐車場を抜けて、



どんどんと大きくなるぞ。



ほんとに冗談抜きに、



うーわー、 

おっきい!


昭和59年の昭和天皇の御親拝を記念して昭和61年に建てらてた大鳥居。
高さ32、2メートル、柱間23メートルの偉容を誇り、
車道をまたぐ鳥居としては日本一。
材質は耐候性剛板で、耐久年数1300年と言われる。


 大神神社 境内マップより


耐候性剛板で1300年は持つって千代に八千代にも夢じゃないすげー。
  耐候性剛板wikipedia




反対側からくぐってしまいました。すみません。


大鳥居前の国道169号にちょいと出ると、



ここから綱越神社、そして、



三輪の茶屋跡までたったの300m!



こっちかな?



網越神社境内に来た。

木陰、微風、静寂。


こんにちは!

三輪の茶屋跡へ行く途中立ち寄りました。


そうそう、三輪の寺社案内板にはQRコードが付いてイマドキなのだ。


大神神社摂社 綱越神社(おんぱらさん)

御祭神 祓戸大神(はらえどのおおかみ)
御例祭 七月三十一日

御由緒
大神神社の参道入口に位置し「祓戸の大神」を祀る延喜式内社であります。
夏越(なごし)の社とも言われ旧六月晦日の大祓「夏越祓」が厳粛に行われる古社
として広く世に知られ、社名の綱越はこの夏越から転訛したといわれます。
本社のもっとも大切な「卯の日神事」つまり例祭である大神祭(おおみわさい)の
奉仕に先立ち、その前日に神主以下奉仕員が初瀬川で禊の後、当社において祓の儀
を受けて、初めて本社の神事に携わる事ができました。
現在は七月三十、三十一日の両日御祓祭(おんぱらまつり)が盛大に執り行われ
特設の芽輪(ちのわ)をくぐり無病息災を祈る人で賑います。



  

次はいよいよ三輪の茶屋へレッツゴー!







 

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桜丸と八重のユウレイ 簑助さんの脱力躁法
 
菅原伝授手習鑑 四段目・五段目

人形浄瑠璃文楽名演集 通し狂言 菅原伝授手習鑑 四段目・五段目 [DVD]エロイムエッサイム


このDVDの五段目「大内天変の段」に出てくる玉男さんの桜丸と簑助さんの八重のふたりのユウレイを見て、その至芸に、人形の表現力に、人形の演じる力に、ぶったまげて腰抜かした。ユウレイというシチュエーションは幸い初心者にも分かり易いこともありまして、初めに見て受けた衝撃は何度見返しても薄れないのであります。


人形浄瑠璃文楽名演集 通し狂言 菅原伝授手習鑑 DVD-BOXどうせならBOX




とここまで昨年の今日2014年5月7日に書いたものの、
人形の動きを左脳で分析できずに挫折中断、ほったらかしにしてあった。
そういやあたしの左脳はぶっ壊れているんだったな。
ほんじゃいくら待ってもうまくなんて書けっこないから
続きを今日書く。


☆簑助さんの人形はなんであんな不思議な動きをするのか。梅川で簑助さんの不思議に気付いてから、なんでだろ〜うなんでだろ?と文楽観賞すること梅川からたったの1年しか経っていないけど、思ったのは、

簑助さんは基本的に胴串を持っておらず、持たないというか掴まないというか、胴串がグラグラしない程度に最小限の力でただ軽く支えるだけ、なのが人形の中の簑助さんの手のホームポジションで、動く時は、胴串や首を含む人形という物体を、動かすとか操作するとかいうよりも物理的な自然の摂理に任せるだけで、えーと微速度撮影的に言うと(言えるのか)簑助さんの手は人形を、動かしたい方向へちょいと促し、動き始めたら動いている間は脱力し、止まりたくなったらキュッと掴んで最小限の範囲で慣性の法則を断ち切って止め、それも一瞬のことで直ちに胴串がふらつかない程度に脱力、の繰り返しなのではないか。あたし何言ってんだかわかるかオレ。だからほとんど筋力を使わずに人形に命を吹き込んでいるように見える。極端にいえば、前腕の筋肉だけで万有引力の法則や慣性の法則を支配し、惰性をフル活用しているように見える。うわ〜何言ってんだ。


なんてことを思いめぐらしているさなか、
浅草公会堂スターの広場で、初代玉男さんと簑助さんの手形を見た。


初代玉男さんの手形。いくつかのタコがはっきりと見える。

中指と薬指と親指の先端が凹んでいるのがわかる。掌のほぼ中央に、
えーと、なんていうんだ? 小指対立筋しょうしたいりつきん?
小指対立筋の盛りあがったところに胴串のお尻を支えるでっかいタコがある。

簑助さんはというと、

タコの類いは特になく、全体的にふっくらつるんとしている。

親指の先端が凹んだり、五指の指紋がざらざらと消えてかかっているようにも見える。

人形遣いの手にはみんな大きなタコがあるものだと思い込んでいた。かの文五郎さんや初代栄三さんも手指にできた数多くのタコを誇っていたというではないか。しかし簑助さんの手はツルスベで、ピンポイントにタコを数えることはできないないのであるよ。驚いた。おどろいて暫し手形を見つめ、梅川やお政やお柳を思い出していた。

掌全体の筋肉が発達し、5本の指先が同じように擦り切れて見えるということは、簑助さんは手指全体をまんべんなく使っているということだろうか。なんにせよ掌に胴串のお尻を支えるタコが無いというのが一番の不思議。

やっぱり簑助さんは胴串を持たずに浮かしているのではないか。

その証拠にタコがないじゃないか。

じゃあ人形がじっとしているときは誰が胴串を支えているのだ。


胴串を持たずに人形を操作するなんて物理的に有り得ないけれど、ほんとうに持っていないとしたら、あの重力を感じさせないUFOの瞬間移動のような動きや、序動なしでいきなり動いてはいきなり止まり、止まった時の反動もないとかの、あの一連の不思議な動きのカラクリとの整合性がここに見出せるじゃん。本気か。

簑助さんの人形操り技術は、ピアノ奏法でいう「脱力」の技術と共通するのではないだろか。ピアノの「脱力」は「ピアノを弾くのに必要な筋肉だけを動かす」テクニックなのだけど、「必要でない筋肉を動かさない」ということがどんだけ困難か。さんざ練習したけどあたしゃできましぇんでした。「脱力」ができると最小限の動きで済み、力まないから無駄な動きが省け、指は鍵盤から鍵盤へ最短距離を移動することができる。すると、おのずと指が素早く回るようになり、いくらでも速く弾け、無駄な力を使わないから最小限のエネルギー消費で済み、疲労が少なくなり、背中や首などの手以外の疲れやコリを回避できるという、よいことずくめの合理的な省エネ奏法なのだ。

ピアノの「脱力」にはメソッドや教本が数種あるが、「脱力」を意識しながらのレッスンを子供のうちから施したとしても、筋肉量(ある程度なら筋力で動きをコントロールできると思っている)と運動神経に個人差があるなどの向き不向きがあり、必ずしも万人向けではないし万能でもない。プロのピアニストにも脱力しきらないまま易々と難曲・大曲を弾きこなす人はいて、それはそれで凄いのだ。文楽に「脱力」のメソッドや伝承は、まさか無いよね、そんなの。

簑助さんは、止めたいときだけちょっと人形を掴む。動かす時は胴串を緩く放し、手の中に泳がせている、ていうふうに見えるだけのはなしでぜんぶ妄想なんだけど、ふつうは胴串を手から解放している間は人形をコントロールできない。簑助さんはどうしているかっていうと、念力つかってるんですよ(←わかんないからヤケクソ) 放して掴むの瞬間瞬間のコントロールが10分の1ミリ単位とか。放すじゃなくて緩めるっていうか。もうわかんない。


簑助さんの究極の脱力躁法による八重のユウレイは、ふと現れてはふと消える、足のないユウレイにしか見えない。玉男さんの桜丸は、静かに豪胆に情念モリモリ。無念さと怨念の根深さが、ふたりからムラムラと伝わってくる。最後にふたりのユウレイが同時に消える瞬間の様子が、二人二様でありながら美しくハモっているのが超絶かっこよくて、何度もスロー再生をしてしまった。

簑助さんは八重を持って一緒にくずおれるように手摺に消え、玉男さんは御自身は立ったまま桜丸をポイと手放す。その瞬間桜丸は霊力を失い永遠に去る。八重は簑助さんの指示で頤を仰け反らせて落ちゆく軌道に余韻を残し、桜丸は頭を下げ真っ向から奈落へ落ちていく。それぞれの優れた表現と技巧に鳥肌が立ち、悶絶した。

八重が柱に半身を添わして下から現れる。肩越しに時平に視線を残しながらぐーっと反転し、今度はすかさず真上から睨みつける。簑助さんの八重の動きは覚えたいくらい。ダンスではないけど、許されるなら「踊ってみたい振り付けベスト5」に余裕で入る。それから枝で時平を叩きのめすときのふたりの手付き!一気に振り抜く、打った背中の上で一丹止める、止めた枝を震わせてから引搔くように下げおろす、枝の先まで怒りが籠ってる!なーんて書いてたら久しぶりに見たくなっちゃった。桜丸の「おいで、おいで」の手も怖いど。玉男さんと簑助さんのユウレイは凄いどー!







 

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近くから見た与兵衛


しゃぎん、と小幕が開いて、与兵衛が肩をいからせながら、ぐいと右足を踏み出す。肩で空をひと掻き、一瞬鼻先であたりを睨め回し、ふん、と世の中を嘲るように左足、と歩いて出て来たところで、心臓でダイナマイトが破裂したみたいにドッカンとなって、うわーあたし死にたい、今死んじゃいたい!と思った。こんなにかっこいいものを、美しいものを、網膜に映し込みながら死ねたらどんだけ死んでも幸せだろう、と思ったよ冗談抜きで。

あらためて岩波の解説を見ると、与兵衛は一種の精神薄弱児、と書いてある。じぇじぇじぇ。そういえば徳兵衛が言っていたな。お沢は侍の家の生れで義理堅く、亡き主人も行い正しく義理も情もよく知る人なのに、与兵衛はどちらにも似ぬ道楽者、と。与兵衛は真面目な両親から生まれた突然変異の精神薄弱児てこと?でも、そう思って仁左衛門の与兵衛を観ると、確かに仁左衛門は与兵衛をちょっと足りない男として演じているように見えるし、与兵衛のしっちゃかめっちゃかな言動も「精神薄弱児」だから、で全て説明がつきますけども。

お沢は言う。与兵衛に辛くあたったのも、勘当を言い渡し追い出したのも、夫が庇って与兵衛に優しくし易くなると思ったから、と。それではまるで義父が継子に冷淡だったみたいなもの言いで、徳兵衛に失礼じゃありまへんか。徳兵衛は徳兵衛で、与兵衛を打って勘当した母親を止められなかった自分が情けなや、と言う。止めてよ。出てけと言われた与兵衛は売り言葉に買い言葉で、出てってやるよ、と息巻くが、母親に最後通牒を突きつけられたショックが隠せない。出てってやるわい、とふんぞり返ってことばは言うが、勿体ぶるように玄関をくぐり、精一杯虚勢を張って歩き去って行くその背中が困惑と戸惑いでいっぱいだった。

つづけなきゃ。

追記:人形の歩き出しは左右のどちらから出すと決まっているのを思い出した。
うん、たしか決まっていると何かで読んだ気がする。
なので与兵衛はもしかしたら左足から一歩を踏み出したのかもしれないのだ〜。





 


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文楽の与兵衛

DVDで仁左衛門の与兵衛を鑑賞し、それから間もなく文楽の与兵衛を初めて見ることになる。

文楽の与兵衛は人形なのにハスッパで、人形なのに横柄でひねていてグレていて、人形なのに暴力は振るうわ油で滑るわ人は殺すわ、なんで人形がこんなにお芝居できるのー?!というカルチャーショックレベルの衝撃をまず受け、さらに人形の与兵衛はアブナイ不良だろうと、ウソツキだろうと、殺人鬼と化そうと、とにかくかっこよくて、男前で、かっちょええヤツで、かっけーほれてまうやろ!なのだった。実際ほれてまったのであるよ。仁左衛門の与兵衛と同じ不良なのに、人形の与兵衛がかっこいいのはなんでだろ。今思うと、検非違使だからかなぁ。

人形の与兵衛が惚れるくらいにかっこいい一方で、その振る舞いを見ていて何故か小学校の同級生のことが、ふと思い出されたのだった。

その男子は無口で勉強なんかしないし、足が速くて運動神経がよいのにクラブ活動にも参加せず、友達も作らない。望んで孤立して飄々として平気で、殴り合いの喧嘩になると強くて無敵だった。いつも口角がちょっと上がり、うっすらと微笑む能面のような表情を変えず、楽しいと思っているのか、怒っているのか、誰にも見分けがつかなかった。わたしも含めクラスの中で、その男子とまともに会話をしたことのある子はいなかったのではないかと思う。先生は男子の沈黙の傍若無人を黙認しているようだった。ある冬の日の休み時間、いつもどおり感情のないマネキン人形の顔でやおら近づいて来ると、わたしの左手をぐっと取って教室のストーブに引き寄せ、そのまま煙突の肌にべったり押しつけた。じゅうっといったような気がして、痛さに気が遠くなり声も出なかった。男子は何も言わず、表情も変えず薄く微笑んだまま、細く鋭い目はわたしの顔をなぶるように見つめていた。数秒後に解放されて、泣きたくはなかったけど痛みのせいで勝手に流れ出る涙を止められず、内心、かっこわるいな、と思いながら医務室へ行った。表皮一枚が大きくめくれるようなやけどだったけど、自分の不注意ということにして、怪我をさせられたことを先生にも親にもひた隠した自分の心理や、男子に対する怒りや恐れなどの感情が何も湧いてこない理由が、自分でもわからなかった。男子が突然あんなことをした理由もわからない。翌日、クラスは昨日と何も変わらず平穏で、卒業するまでの数ヶ月間、その男子がわたしの脅威になることはなかった。

人形の与兵衛を見て、なぜウン十年も忘れ去っていたあの男子を急に思い出したのだろう。やっぱり検非違使だからかな。検非違使は目をギランとさせ、口をぎゅっとへの字に締めて、いつもニヤけていた男子とは似ても似つかないけど。どこか得体のしれない狂気を孕んでいるような肌合いというか匂いが、与兵衛と共通するのだろうか。男子は学校では徹底して一匹狼だったけど、もしかしたら然るべき別世界に仲間がいたかのかもしれないな。与兵衛に遊び仲間がいるように。

さて、

与兵衛の犯行は衝動殺人、と公式では(?)概ねそういうことになっているようだが、どうなんだろう。与兵衛がお吉の家へ入る直前、両親が帰るのを隠れて見届けると、「心一つに打頷き」と何か意を決しているが、「よっしゃ金借りるぞ」とも「いざとなったら殺してでも」とも、どっちともとれる。そして「脇差」を腰から「抜いて懐に」忍ばせる。なんで刀を懐に隠す必要があるのだろう。どうせ後で、刃物は自害の覚悟で持ってきた、と言って懐から出してお吉に見せるのに。

何かを思い定め、脇差を懐に隠すと、続いて与兵衛はお吉の家の戸をさらりと開け、「つっと入るより胸も樞(くろろ)も落し付け」るのだけど、樞(くろろ)は枢(くるる)で、ネットで調べると、戸の開閉のための穴とか心棒とか、扉そのものをいう場合もあるけど、ここでは「戸締まりのため、戸の桟から敷居に差し込む止め木。また、その仕掛け。おとし。」のことを言っていると思われ(戸のことは「潜(くぐり)」と前文で言っているから)、「胸も樞も落し付け」は、胸の内を落ちつけながら戸に鍵を掛けた、のだろう。実にお吉は切りつけられると一旦は戸口の方へ逃げるが戸は無情にも開かないのであるよ。与兵衛が入って来るとき鍵閉めちゃってるんだもん。お吉の夫が帰って来てもすぐには入れないように。或いはお吉が簡単に逃げ出せないように。

戸の外で「心一つに打ち頷き」、戸を潜るとまた「胸も樞も落し付け」るのだから、間髪を容れずに二度も腹を括る与兵衛なのでありますよ。金を借りるのに気合を入れたのでしょうかね。

家に入るなり鍵を閉めた与兵衛は、御主人は集金に出掛けてお忙しいでしょう、と、それとなくお吉がひとりなのを確認する。目的はどうあれ夫の留守を狙って来たのは間違いないだろう。後にお吉は「夫に無断で金は貸せない」と借金を断るが、与兵衛は、お吉から夫に頼んでみてくれとも、夫の帰りを待って一緒に頼んでくれとも言わず、どうせ一度は男女の仲を疑われたのだから、いっそのこと不義になって貸してください、と突拍子もないことを言い出し、それも叶わないと悟ると凶行に及ぶ。

「不義になって貸してくだされ」を現代風に言うと、「じゃ、おれたち出来ちゃう?そしたら貸せるだろ?必ず返すから、恋人になって貸して下さい。そのかわりと言っちゃなんだけど、可愛がるからさ、ねえオネガイ。」みたいになるのかな。ホストみたいだな。ホストに失礼か。もし自分がお吉で、お向かいの顔なじみの青年にこう言われたらどう思うだろう。よく知っている年下の男にこう言われたタイミングが、たまたま心の隙や変な余裕があるときに合致すれば、ちょっと冒険したくなる誘惑に駆られるかもしれない。それこそ衝動よろめき。衝動ではあるけれど、常々の伏線があったればこその衝動だと思うべな。

与兵衛は23歳、お吉は27歳。ふたりの間に異性としての意識はあったろうか。冒頭与兵衛はお吉を「見かけは若い時と変わらずまあまあキレイだけど、子を産みひろげた世帯臭いおんな」と評している。女としては見てくればかりで甘味のない飴細工のようだ、と貶してはいるがお吉の女としての変貌をちゃんと見ている。お吉の方はどうか。弟を構いかわいがるようにして、顔を合わす度に口うるさく諭し、泥まぶれの与兵衛の着物を脱がせてきれいにしてやるなど、何かと心を掛け、ずいぶんと立ち入って世話を焼いている。

お吉に与兵衛を男として見る瞬間がなかったと言いきれるだろうか。一度夫に疑われてからは自省するものの、それを忘れたように、夫の留守中に不用意に与兵衛を家に上げるのはどういうわけか。夫と家族との今の生活が大事ならば、門口で親からの預かりものを渡して帰せばよかったではないか。おまけにご丁寧に手持ちの金の額を言ってしまうとは浅薄な!夫にたしなめられてもお吉にはまだ隙があり、油断し、甘く見積もっていた。与兵衛という男の存在を軽視し過ぎた。夫に疑われたことが却って、与兵衛をはっきり男と意識するきっかけになったかもしれない。与兵衛は与兵衛で「不義になって」「貸して」くれると本気で思って言ったのかもしれない。もし万が一このときにお吉が合意していたら、ふたりはどうなったと思う?小菊が妬いたりする仲に発展したんじゃないか、とあたしは思うよ。だって与兵衛の初恋のひとはお吉だったかもしれないじゃない?妄想だよ。

お吉殺しが衝動殺人だとして、与兵衛が殺意を抱くのはいつだろう。歌舞伎だと、与兵衛がどうしても借金を返さなくてはならない事情を切々と訴えると、お吉はいったんは信じそうになるが、思いなおしてオホホと笑い、また作り話でしょう、と相手にしない。歌舞伎のお吉は笑うのだ。与兵衛のプライドが傷ついて、見ているこっちがハラハラする瞬間だ。与兵衛が瞬間湯沸かし器になって、あっという間に殺意に支配されるのではないか、と。文楽のお吉は、うそおっしゃい、と取り合わないのは同じだけど、笑い飛ばすことはしない。

昨年の博多座の与兵衛がいよいよお吉の家に入ろうとするとき、最後の頼みの綱であるお吉を扉越しに見据え、ここで金をなんとかしなきゃ、と、頭にあるのはまず金繰りのことだけで、そのためにはお吉殺害もやむなしと考えているだろうな、と思ったけど、それは女殺を観たことがあり顛末を知っていたからかもしれず、実際は与兵衛の殺意スイッチはどこで入るのだろう。

勘十郎さんが、著書「文楽へようこそ」の中で、スイッチの入る箇所を教えてくださってますのよ奥様!どこで殺意を抱くか勘十郎さんは悩まれたそうだ。ほんで「ここで、もうこれまでや、という気持ちになって」と与兵衛になって浄瑠璃の行間を読まれている。おお〜人形遣いはこうやって浄瑠璃の隈ぐまを読み込まれるのですね。人形動かさなきゃなんないし、床本は読み込まなきゃだし、いくら時間があっても足りなさそう。

ところで「文楽へようこそ」で、勘十郎さんと玉女さんの好きな役ベストテン!をそれぞれ語っておられるが、勘十郎さんのお役でわたくしの大好きな袖萩と梅川と小春がいない。なんで〜?がっくし。エロエロ梅川とか言ってはしゃいだりしてたからバチが当ったんだ。でもいいんだ他のも全部好きな人ばかりだから。召使お初もいるし、与兵衛はベストスリーに入ってるし。ほんで、おふたりのを合わせた20作品のうち、見たことがないのは近江源氏と景清の2作品だけだった。3年しか文楽見てないのに凄い!そんなにいろいろ沢山見ているのに、いったいいつもどこ見てんだ。



文楽へようこそ 桐竹勘十郎 吉田玉女

文楽へようこそ (実用単行本)他の方のベストテンも知りたいな〜


まだつづく。予定。書けるかな。すでに支離滅裂なんですけど。





 


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仁左衛門の与兵衛
岩波の解説注釈付きの女殺油地獄を、あたしにしては丁寧に読んだ。
それから仁左衛門の女殺油地獄DVDを久し振りに観た。


DVDでしか観たことがないが仁左衛門の与兵衛は徹頭徹尾小心者で甘ったれの小悪党、いやいや、小悪党にだってなりきれていないかもしれない。ひと昔前の言葉でいえばバリバリの「軟派」になるだろうか。「軟派」は、同じ不良でも「硬派」がするような喧嘩など荒っぽいことは避け、もっぱら女遊び一筋の軟弱な方の不良になるけれど、そもそも「硬派・硬派」というのは、明治維新後に西洋式道徳が入って来る以前の日本では、男は女を孕ませ後継ぎを製造する傍ら男同士の性愛つまり男色を嗜むのが古えよりアタリマエだったそうで、でも中には生理的に女だけしか性の対照にならない男も居るわけで、そういうのを、男一筋の男を男らしい「硬派」というのに対し、女しか受け付けない男なんて軟弱なヤツという意を込めて「軟派」と呼びあらわし区別した、のが語源になるらしい。男同士の性愛を受け付けられない男は軟弱と看做されたというのだから、いかに男同士の同性愛が常識だったかわかろうというもの。そんな酒池肉林やりたい放題の男という生き物を、昔の女はどういう目で見ていたのだろう。同性愛は結構だけど節操のない男はダサイわね、なんて思ってたかな。そういえば浄瑠璃の登場人物に同性愛者或いはバイを、今のところ発見できていないな。時代物の敵や世話の脇にそこはかとなく匂わせるキャラクターはあっても、あくまでキャラで本筋とは関係がないため、いつもお芝居を観ながらの束の間の妄想に終わるよ。

話を戻すと、与兵衛はだから遊びの資金調達に借金を重ねる一方でまともに働かず、ちっとは働いても売り上げは全て女に突っ込み、そうやって女遊びの放蕩のせいでにっちもさっちも行かなくなってしまう、典型的な軟派な不良少年なのだけど、23になってもまだ地に足の着かない不良をやっているということは、実家がひとかどの油屋ではなく、仮に貧しい長屋暮らしであったとしたら、とっくに街のちんぴらになっていても不思議ではない。現にやってることは、喧嘩沙汰に嘘を吐いての金の無心、女遊びに家庭内暴力。ちんぴらと変わりがない。

与兵衛が家を追い出されたあと、お吉の所へは行かずに借金バックレを決め込み、店の跡継ぎも小菊も諦めて、そして例えば髭剃や赤裏あたりの私娼窟をうろつくようになっていたら、じき七組のようなちんぴら組織に拾われるなりして、どっちみち家の面目を潰すとしても、いずれ摘発され獄門になるか無残な獄中死を遂げることになるにしても、お吉は死なずに済んだ。でも与兵衛はそういう生き方を選ばず、というか、そういう自暴自棄な破滅型の行き方ははじめから与兵衛の選択肢に一切含まれておらず、与兵衛はお吉を殺すまでして借金返済の期日を守ることに固執する。その動機には義父に大迷惑が及ぶのをなんとしても免れたいという強い気持ちがあり、また母にも伯父にも兄にも妹にも悪いことをしていると潜在意識の中ではわかっている。つまり与兵衛には家族への愛情があるし、それは裏を返せば、親からの愛情を渇望していることになるのではなかろうか。

与兵衛の両親は出来うる限りの愛情を与兵衛に注いでいる。おそらくは物分かりも出来も良い真面目な長男には敢えて外に店を持たせてやり、次男である与兵衛にいつでも家を継がせられる体制をとっているのは、兄弟の性質を見極めた上での親の方針だったろう。与兵衛が仕事を頑張れば蔵の一つも建ててやりたい、と義父はいう。実家の店を継がせて貰えなかった兄にだって不服や疑問があったかもしれないが、多分兄は弟を観察し、また、おとなしく親の意向に添ううちに成長もし、やがて親の考えが正しく一番円満な方法だと悟るようになっただろう。一方、与兵衛は親の言動から自分への愛を推し量るだけの賢明さに欠けていた。それどころか、やることはしっちゃかめっちゃか、目先のことしか考えられず、直情的でキレ易く、思い通りにならなければ相手構わず大暴れ、と現象を列挙することはできるけど、与兵衛の人格をどう理解すればよいのだろう。

追記:大暴れするのは相手構ってるか。伯父の森右衛門やその主人に対してはビビってるから権威には人並みに弱いのだな。つまり自分の身を滅ぼす力を持つ相手に対しては、誰もがそうするように自己防衛のため逆らわない。

義父の徳兵衛はもとは店の使用人だった。番頭に過ぎない徳兵衛が主人の死後、残された主人の妻と再婚した、ということは自動的に自分が店主に収まったのだけど、それは妻のお沢の兄森右衛門からのたっての願いで、店と妻子の将来を引き受けたのだった。だから店を守り且つ主人の忘れ形見のふたりの息子の身を立ててやることが徳兵衛の任務であり、責務なのだ。これが義理というものか。徳兵衛は主人の面影を色濃く残す義理の息子与兵衛に対し遠慮をし、ものを強く言えずに甘やかしてしまっている自分を情けないといって嘆く。が、どっちかっていうと、だってもと御主人さまの息子なんだもん、厳しくできないのは仕方ないよ、わかってくれるでしょ?と事あるごとに言い逃れている感が無きにしも非ず。与兵衛の兄は、あなたのことは本当の父と思っているのだから遠慮することはない、ガンガン言ってやっちゃってよ、なんだったら僕のところに与兵衛をよこしてくれたら厳しい親方に預けてみっちり仕込んでもらってもいいし、と義父を励ます。兄貴が直接面倒みる気はないのね。

とうとう与兵衛に勘当を言い渡して追い出し、万策尽きた両親は、相次いでお吉のところへ忍んで行き、ありったけをこぼし、一緒に泣いてもらい、与兵衛への援助の金をお吉に託す。母は端午の節句の粽まで用意している。23歳にもなる息子に粽を喰わすかあ?なんて思ってしまうけど、与兵衛を跡取りとしていつくしんでいる、言いかえれば与兵衛に跡取りを期待している証しだろう。でもね、でもねだよ、第三者のお吉に頼る前になんで与兵衛ともっと向き合わないよ。だいたい追い出したのだって、与兵衛に対する教育的指導というより、夫に対する面子がそうさせたんじゃないの?おっかさん。あとさ、妹に婿とって店を継がせるとウソを言えば発奮してくれると思ったとか、そんなややっこしいロジックが与兵衛に通じると思うかあ?いまさら。お吉に話を聞いてもらうのだって、親としてやるべきことはしたと、いざとなったら世間体を守るために、お吉が証人になってフォローしてくれると見込んでのこともあったんじゃないの?

なんだかな。暴君与兵衛がかわいそうになるときがあるのよ。

与兵衛は不良で悪いヤツなのに、律儀に借金返済をするべく殺人を犯してしまうわけで、そこが不良といえどもせいぜい遊び人のぼんぼんで、仁左衛門は不良ぼんぼんの肝の小さい臆病な側面を強調したまま豊島屋に突入するから、いざ油まみれの惨劇になると、捕まえた虫の足を一本ずつもぎ取って喜ぶような、子供が残酷な遊びの愉快に目覚めたような与兵衛の「笑い」が、説明のつかぬ得体の知れぬ狂気となって映る。あそこハイライトだ。仁左衛門は凄い役者なんだな、と思い、また、大事に育てられた商家の息子の堕落というか、甘えから破滅への道程を見事に書き表した近松門左衛門て凄いんだな、と思った。

仁左衛門はなぜ、成年男子にしては未成熟で幼児性が強く、だから心が丸裸で、心が裸で鎧も何も纏っていないから直情的で短慮で臆病で本能的な男として与兵衛を演じたのだろう。仁左衛門なのにかっこよくないし、与兵衛の甘ったれを見てもうんざりするばかりで母性本能もくすぐられない。徳庵堤で虚勢を張るときはイッパイイッパイで滑稽だし、殺人を犯しているときはニタニタ笑って気持ち悪いし、お吉が死ぬと、急にビビリだして無様だし、救いようがないのであるよ。

文楽の与兵衛につづく。予定。



 歌舞伎名作選 女殺油地獄

  
 狂気の沙汰





 

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