妄想オムライス
床下は骨伝導 ワ((゚゚дд゚゚ ))ワワ !!!!!



浅草ぶらぶら
浅草メトロ通り、やげん掘の七味。

まだ冷蔵庫にあるから今日は買わなくっていいや。


オリジナル手拭の店、ふじ屋の店内に中村屋の銀杏紋が見える。

とりあえず花川戸の姥ヶ池に行き、


二天門から浅草寺境内へ。 

すんごい人!七割方外人だと思う。


休憩所に癒しと木陰をもたらす藤棚の藤。

そうだ、浅草神社へ寄って、

それから、


観音さんこんにちは!ちょっと前を通らしてくださいな。


黙阿弥住居跡に寄り、仲見世を通って、新仲をぶらぶらしよう。


新仲店通り。



ブロマイドの老舗専門店、マルベル堂。

ずーっと前に、グッチ祐三ありますか?と聞いたら即答で「無い」。
無いのは残念だったけど、すごい!在庫が全部頭に入ってる!

歌って踊れておもしろい料理研究家グッチ祐三のファンだったのよん。
サインが貰えるチャンス到来だったので、ブロマイドが欲しかったのよん。


もうすぐ三社だね。



やま吉には普段使いの食器をよく買いに来た。



市役所通りをなんとなく右折。


手拭の店、かまわぬ。登録商標「鎌○ぬ」は成田屋に使用許可を請うたのかなやっぱり。

場所は浅草公会堂の並び。そうだ、公会堂の手形を見よう。


浅草公会堂向かいの角に、

鼠小僧。

勘三郎です。


そのまま伝法院通りをぶらぶら。


これがほんとの亀の子だわし。

亀とくりゃあおめえうさぎに決まってんだろう。ワニもな。ブタはどうよ。


かなや刷子の店先でした。



日本駄右衛門だ、団十郎だ!だんずーろーだんだーん!

この界隈各所に白波五人男が潜んでいるらしい。へええ。


もうひとり発見。こりゃ誰だ?

コンプリートは次回来たときのお楽しみにとっておこう。


六区の中心部、浅草演芸ホール前。この街並みにあってはドンキが浮く。



千日前・道頓堀・長町裏に惹かれる理由のひとつが今頃になってやっとわかった気がする。

浅草と似てるんだ。ほんとに今さらだなバカかおまえ。


渥美清やビートたけしを生んだ元フランス座の浅草東洋館。

漫才、コント中心のバラエティ定席だそうです。折口信夫は来ないだろう。


気になるタイガー餃子会館。こちらは別館。



雷門通り沿いに本館があった。餃子食べてみたい。

一瞬、日本橋筋に出た!と錯覚。なんでだ?道幅がほぼ同じだからだ。たぶん。
向かいに黒門市場入口や大丸白衣があってもおかしくないもん。


雷門通りを浅草駅さして行こう。



手作りパンの店COURAGE(クラージュ)は浅草あんぱんが有名。

あんぱんの幟がすごい目立つ。買って帰ろ。


浅草あんぱん。なめらかな生クリームと粒あんがふかふかのパンに包まれている。

美味しいよ!甘さ抑えめで、パン生地はパンのよい香りがちゃんとして、
真面目に作ってる感じがとてもする。


ヨーロー堂は江戸時代から続く老舗レコード店です。うそです。

創業大正元年だそうです。 音のヨーロー堂


フジモンのせいでバタざんまいにしか見えない。

そういえばさっき、すしざんまいに追随してか、


すしまみれっていうのがあったな。

24時間がんばれ〜!


雷門は松下幸之助が寄進したんですって!知らなかったわ奥さま! 雷門wikipedia

記念撮影をする人、待ち合わせをする人。 


歩道には人力の客待ち。人力車を曳くかっこいいお兄さんを車夫・俥夫というそうです。

観光用人力車を営む会社はいくつもあり、各社こぞってイケメン俥夫をウリにしている。
例えば、おすすめしちゃってるところもあるし。

えびす屋浅草店のおすすめ俥夫

時代屋の車夫紹介

時代屋に所属すると「俥なになに」と名乗るんだ。かっこいいな。
なんと女子の顔も見える。女子がんばれー!


雷門向かいに立派な浅草文化観光センター。

浅草観光.com なんでもきいてね!


今や浅草の代表的風景といえばこれかな。

江戸通りから吾妻橋を望めば名物金のウ○○とスカイツリーが一望できる。
緑の屋根の、今も変わらぬ地下鉄銀座線浅草駅入り口も名物だと思うよ。
日本初の地下鉄開通は昭和二年。まずは浅草・上野間を走った。


駅構内に、昭和二年十二月三日付 中外商業新報のコピーが飾ってある。


我が交通上最初の試み 地下鐡道本日開通
上野から浅草まで一哩半 輝かしき帝都交通の誇り

大地震も安全 絶對に堅牢
頑丈その物である巨大な鐡骨と混土

自動出札機やモダン車輛
停車場は色別で一目瞭然

宮樣の台臨を仰いで光榮の地下鐵
廿九日開通式擧行


 浅草駅 wikipedia


松屋デパートと同居している東武伊勢崎線浅草駅。今は東武スカイツリーラインていうんですと。

みんなカタカナになっちゃうなあ。まだスカイツリーに行ってないなあ。

 MATSUYA 松屋浅草


銀座線に乗っておうち帰ろ。

おうち帰って浅草あんぱん食べよ。






 

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浅草神社
花川戸公園姥ヶ池を出て右へ、


二天門に戻って浅草寺境内に入り、

 ↑クリックで二天門説明


右を向けば、三社祭で有名な浅草神社。

通称「三社さま」といいます。


いろんなものがあってキョロキョロしちゃうよ。

火事と喧嘩は江戸の華、か。


初代市川猿翁句碑 「翁の文字まだ身にそはず 衣かえ 猿翁」

 ↑クリックで説明


こっちはなんだっけ、



跳石を奥へ行ってみませう。



かわいい〜

ってなるよね。


川口松太郎句碑 「生きるということ むずかしき夜寒かな」

なんか身につまされてせつなくなったじゃないか。  ↑クリックで説明


左が花塚で、右の黒いのが河竹黙阿弥顕彰碑。あとで黙阿弥住居跡へも行こう。

 ↑クリックで花塚説明 笠翁斉乱鳥さんは知らなかったが華道のお師匠さんのようだ。


初代播磨屋句碑 「女房も おなじ氏子や 除夜詣 吉右衛門」

 ↑クリックで説明  


扇入れと扇塚。


扇入れにたてかけてある金の立て札には、

古扇納め箱

わたくし達日本舞踊を志すものにとりまして
扇は欠くことの出来ない品でございます
使い古された扇はどうぞこの箱にお納め下さい
毎年四月八日にご祈祷の上 扇に感謝の
ご供養を致します

(上がり藤の紋) 花柳流花柳会


 と書いてありまする。



手水舎の手前にえらいかっこいい狛犬さん吽。毛並みがシルクみたい。

山川町の大工虎五郎さんが奉納したのかな。


阿形もシルキータッチ。田町の文三郎さん奉納のようだ。

天然石をコラージュした台座が荒々しくて、これまたかっくいい。


拝殿。

こんにちは。ながなが御無沙汰しとりました。



wikipedia浅草神社 より

浅草神社の草創に関わった土師真中知(はじのあたいなかとも)檜前浜成(ひのくまはまなり)・武成(たけなり)を主祭神とし、東照宮(徳川家康)・大国主命を合祀する。檜前浜成・武成の他のもう一柱の主祭神については諸説あったが、現在では土師真中知であるとしている。この三人の霊をもって「三社権現」と称されるようになった。

社伝によれば、推古天皇36年(628年)、檜前浜成・武成の兄弟が宮戸川(現在の隅田川)で漁をしていたところ、網に人形の像がかかった。兄弟がこの地域で物知りだった土師真中知に相談した所、これは観音像であると教えられ、二人は毎日観音像に祈念するようになった。その後、土師真中知は剃髪して僧となり、自宅を寺とした。これが浅草寺の始まりである。土師真中知の歿後、真中知の子の夢に観音菩薩が現れ、そのお告げに従って真中知・浜成・武成を神として祀ったのが当社の起源であるとしている。

実際には、平安時代の末期から鎌倉時代にかけて、三人の子孫が祖先を神として祀ったものであると考えられている。ご神体として一般の人間(漁師と僧侶)を祀っている為、神社の格としては江戸一低いといわれている。

明治の神仏分離により浅草寺とは別法人になり、明治元年に三社明神社に改称、明治5年に郷社に列し、明治6年に現在の浅草神社に改称した。





「土師真中知」は名前から土師氏の一族であると考えられている。てことは、真中知さんとあたしのアイドル菅原道真さんとは親戚じゃないですか。すると、国境からはみ出た葦原と石浜のほかになにもない湿地に道真の親戚が仏像(仏教)を携えてやって来たのが浅草神社・浅草寺のはじまり(諸説紛々ありまくり)ということになり、そのような形で自分が暮らした浅草とみっちー(道真)が関係していたのだと思い込むと、おもしろくて感慨深いのであります。

wikipediaでは「土師真中知」の読みが「はじのあたいなかとも」となっているが、「はじのまつち」と読むのが一般的だと思っていた。彼の待乳山の聖天さんは「土師真中知」の館のあった場所ともいわれており、「真中知・まつち」の居住する高台ゆえに「待乳山・まつちやま」と呼ばれるようになった、という説がある。



天水桶から助六が飛び出してきそうじゃあ、ござんせんか。


 
 浅草神社ホームページ







 

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