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妄想オムライス
床下は骨伝導 ワ((゚゚дд゚゚ ))ワワ !!!!!



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中座くいだおれビルのギャラリーで道頓堀五座を見る

2011年5月のこと。

買い物をするとレジのお兄ちゃんが「おおきに!」と言ってくれる、おなじみ中座くいだおれビル。


東日本大震災直後には、

入口のくいだおれ太郎が復興応援に尽力していたり


夏場になると健気に節電モードだったり
動いてない

店先ののれんがぜんぶ太郎でかわいかったり


大阪土産が充実していて中でもソースの種類が凄いとか

買い物に立ち寄るだけで十分楽しいのだけど、

なんとなく店の奥に入ってみたらギャラリーがあった。

ギャラリーに貼られていた道頓堀ニュースの昭和4年創刊号より道頓堀案内図。

展示写真は全てこの創刊号に掲載されていたものなのかもしれない。

道頓堀五座(弁天座、朝日座、角座、中座、浪花座)の配置がよくわかる。 右はGoogleマップ。

Googleマップの航空写真はいつ撮影したものなのだろう。浪花座(竹本座)、角座、朝日座が同時多発的に更地になっておる。こう一気に足並み揃えて劇場が解体されていたとは、ご時世とはいえちょっと驚きなのだ。弁天座跡は駐車場になっているが、これはこれで更地と大して変わらない扱いのような気がする。

では展示されていた五座と松竹座の写真を地図の通り、上から順に並べていきます。

どの写真もいつ頃撮影されたのかは不明。
昭和初期には五座は全て松竹の経営下にあった。
おそらく戦前の貴重な芝居小屋の姿なのよ。
そうなのよ、松竹座以外は皆大阪大空襲で一度焼失しているのよ。
松竹座だって外観は残ったものの中は蒸し焼きになったかもしれない。
わたしは原爆投下と本土空襲を物凄く恨んでいるのよ。
五座の名称は赤字で書きますわよ。
名称の変遷をわかる限りにおいて書きますわよ。
豊竹座は展示されていなかったけどオマケなのよ。

ほんじゃいってみよー。


弁天座 竹田の芝居→弁天座→道頓堀文楽座→朝日座(文楽)→タイムズ駐車場

竹田の芝居は、寛文2年(1662) 、からくり芝居を考案した竹田近江が、太左衛門橋南詰東の浜側に創建しました。『摂津名所図会』に、オランダ人が竹田の芝居を見物している場面が描写してあり、「竹田のからくりを見ないと大坂に来た甲斐がない」という記述がある程の大坂名物だったといいます。宝暦年間(18世紀中頃)に現在の跡地に移りましたが、明治9年(1876)に火事で焼け、新築してからは弁天座と名乗りました。その後、道頓堀文楽座、朝日座と名を変えましたが、昭和59(1984)、国立文楽劇場の開場により、その幕を閉じました。


豊竹座(展示なし) 豊竹座→若太夫の芝居→阪恵座→ウインズ道頓堀(昭和53年(1978))

元禄16年(1703) 、豊竹若太夫(竹本義太夫の弟子)が旗揚げした人形浄瑠璃の芝居小屋です。登場人物の心理描写を重んじ、腹で語ることを身上とした重厚な芸風の義太夫と、音楽美に重点をおき、華麗で技巧的な若太夫は、対照的な芸風をもって競い合い、「竹豊次代」と呼ばれる浄瑠璃の全盛期を作り上げました。明和2年(1765)、若太夫が亡くなったために閉座して、「若太夫の芝居」という歌舞伎小屋に転じますが、明治9年(1876)に焼失。「阪恵座」と名を変え開場しますが、明治10年(1877)に、またしても焼失しました。 画像は「竹豊故事」より。竹本・豊竹両座の賑わう様子が見てとれる。


朝日座 角丸の芝居→朝日座→道頓堀東映→空き地

宝永7年(1710)に官許をうけ、古くは角丸の芝居と呼ばれた劇場で、明治10年(1877)の阪恵座の廃座により、五座の1つに数えられるようになりました。明治1 6 年(1883)の改築を機に朝日座を名乗り、明治44年(1911)道頓堀で最初に映画上演中心の劇場に転向しました。昭和3 0 年(1955)、道頓堀東映として開場しましたが、平成19 年(2007)に閉館しました。
こっちが先に朝日座を名乗っていたのだ。そういう経緯のせいかどうか、弁天座が朝日座と名称を変えた時には、文楽ファンから大顰蹙を買ったそうだ。朝日座行くゆうな、文楽座と言え、みたいな。
しかしこの建築はいいなぁモダンだなぁ。


角座 角の芝居→角座→角座(松竹演芸場)→KADOZA→角座ビル(SY角座・松竹角座・B1角座)
         →道頓堀角座オープンに向け工事中

寛文9年(1559)角の芝居として官許の櫓を揚げ、中の芝居とともに「大歌舞伎」として高い格式を誇る。松竹移譲後は演芸場や映画館として興行したが昭和20年閉座。

news! 道頓堀に劇場「角座」復活へ−松竹芸能が7月末オープン  2013年02月28日
 松竹芸能(大阪市浪速区)は今年7月末、大阪・道頓堀の旧「角座ビル」跡地に、劇場を中心とした複合施設「道頓堀角座」(中央区道頓堀1)をオープンする。
  道頓堀は古くから歌舞伎や人形浄瑠璃などの劇場が立ち並ぶ芝居街で、江戸時代には「浪花(なにわ)座」「角座」「中座」「朝日座」「弁天座」の5つの劇場群が「道頓堀五座」として人々に親しまれていた。昭和末期に「角座」「朝日座」「弁天座」が閉館した後、平成に入り「浪花座」「中座」が閉館。その後、「角座」跡にできた「角座ビル」地下1階に同社が劇場「B1角座」を復活させたが、2008年5月末で閉館していた。
  「道頓堀角座」には、「B1角座」と同規模となる126席の劇場を設置するほか、同社大阪本社事務所を移設、同社が運営するタレントスクールも併設する。施設前に設ける800平方メートルの広場では、年間を通じイベント開催を予定するほか、飲食屋台の出店も計画する。 なんば経済新聞 より

 完成予想図  

文楽もやったらいいな〜そしたらもっと道頓堀が楽しくなる。
角座は世界初の回り舞台を採用した舞台機構のパイオニアでもあるのだ。なんと宝暦8年に!


中座 中の芝居→中座→セラヴィスクエア中座→中座くいだおれビル


寛文元年(1661) 落成、江戸時代には「中の芝居」と呼ばれていました。上方歌舞伎や松竹新喜劇の本拠地として、最も高い格式を誇る大芝居でした。喜劇の創始者・曾我廼家五郎最後の「無声の舞台」、上方歌舞伎を代表する名優・初代中村鴈治郎の拠点、最後の天才喜劇役者・藤山寛美が亡くなる3日前に「中座に行きたい」と言い、妻と夜遅くに出掛けたというエピソードなど、多くの芝居関係者に愛された芝居小屋でした。平成14年(2002)解体工事中に爆発し全焼しましたが、平成21年(2009)7月に大阪名物の「くいだおれ太郎」が1年ぶりに復活して「中座くいだおれビル」がオープンしました。かつて中座の奈落に祀られていた「柴右衛門狸大明神」が同ビルの4階に移されたが、2000年に「里帰り」するかたちで現在は洲本八幡神社に祀られている。初代中村鴈治郎の拠点であった。


浪花座
 竹本座→大西の芝居→筑後の芝居→戎座→浪花座→演芸の浪花座
            →サミー戎プラザ(道頓堀極楽商店街)→道頓堀ゼロゲート

貞享2年(1685)、浄瑠璃即ち義太夫節といわれるほど世に名を馳せた竹本義太夫が創設しました。宝永2年(1705)座本を竹田出雲に任せ、近松門左衛門が座付作者、義太夫が専属太夫となってからは、人形浄瑠璃は歌舞伎をしのぐほどの人気を誇りました。「曾根崎心中」(元禄16年・1703)、「心中天網島」(享保5年・1720)、「仮名手本忠臣蔵」(寛延元年・1748) など、今日演じられる人間浄瑠璃、歌舞伎の演目の多くが、この時代の竹本座で初演されています。その後、人形浄瑠璃の衰退と共に明和4 年(1767) 閉座。歌舞伎の小屋に転じ、大西の芝居、筑後の芝居、戎座、浪花座と名を変えましたが、平成14年(2002)に閉館しました。


松竹座

ネオ・ルネッサンス様式の正面大玄関のアーチが特徴的な大阪松竹座は、大正12年(1923)、松竹の創業者・白井松次郎の手により、日本初の洋式劇場として誕生しました。大阪の洋画の殿堂として優秀な外国映画を封切してきましたが、平成9年(1997)に新築開場してからは、芝居街・道頓堀の伝統を今につたえる劇場として、歌舞伎公演をはじめ、松竹新喜劇やミュージカル、レビューやコンサートなどを上演しています。大阪松竹少女歌劇(後のOSK日本歌劇団)の本拠地としても知られています。平成9年に外観を残したまま内装工事を経て最新設備を備えた大阪松竹座に生まれ変わる。


戎橋(木橋)

鉄橋に架け替えられるのは明治11年だそう。どっちを向いているのだろう。心斎橋方面かな。
左の遠くに霞んで見えるブルーの屋根が南御堂、とか?対岸の店に書かれているのは、うどん、
そば等のメニュー。他は読めましぇん。


道頓堀航空写真

北から南方面を見ている。左端の屋根の一部が見えているのが角座で、大きな屋根をその隣から順に、
中座、浪花座、白い建物が松竹座。まだ大きな御堂筋が無いので大正15年以前の写真。

上から見ると芝居小屋の軒に渡す「蛸吊り」という旗を付けた紐が束になって見えて面白い。
なかでも右端の浪花座が気合入ってます。

 ↑ 角座も何気に負けてないかー。                  これでもかー!みたいな。

浮世小路に再現されている「蛸吊り」

運動会や商店街の万国旗のルーツはこれなのかもしれないな。

ほんで、

それが、アメリカが昭和20年の空襲でこんなにしちゃったんだよ。

千日前通りと道頓堀川を東から西へと見ている。ひどい。何もない。ひどい。 写真はなにわ今昔

CGによる大阪都市景観の復元 道頓堀五座 大阪都市遺産研究センター可視化プロジェクト

中之島図書館 道頓堀展

引用 大阪あそ歩 道頓堀繁盛記



レストラン赤玉  天満で成功したのち中座の東に進出してきた。


キャバレー赤玉  外観も商売も徐々に加速して派手になってゆく。浜側にもう一軒出来たみたい。

映画「浪花哀歌」に風車のネオンサインが登場していたような。赤玉の風車のネオンサインといえば
モダン大大阪を象徴するようなイメージを抱いているのだけど、違うかな?


法善寺横丁 右側の店の提灯に「めおとぜんざい」と書かれている。


戦前の夫婦善哉は法善寺横丁と浮世小路のぶつかる角にあったらしい。

NHK土曜ドラマ「夫婦善哉」8月24日放送開始! 見なきゃ。

梅田ステンショ

大阪タクシー自動車株式会社があるということは大正5年以降の写真のようです。

ほかにも沢山写真が飾ってあったような気がする。久しぶりにまた行ってみようかな。
中座くいだおれビル公式サイト



 道頓堀 

 ひたすらの
心なごみや、
 小屋ひろし。
天井をながめ 人顔ながめ

 * 顔見世のうち出しに、お福と彦徳(シホブキ)とに扮した二人が、
   太鼓囃しにつれて、人形身で、采をふりながら、踊る行事を
   「錣うち」と言うた。

おもしろく
 打つしことかな。
  その踊りを見つゝ 思へば
    忘れ居にけり

         春のことぶれ 大阪詠物集 より (折口信夫全集第24巻 p297)







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突然のご連絡失礼いたします。
現在、大学にて卒業論文の研究において、道頓堀の景観について研究している者です。

この浪花五座の写真に関してなのですが、それぞれいつの年代の写真か、もし把握されているようでしたら教えていただけないでしょうか?

よろしくお願いいたします。失礼いたします。
ym / 2013/12/19 4:12 AM

わからないんです。
お役に立てなくて申し訳ない。
オムライス / 2013/12/19 6:15 AM

一部のブログでは弁天座→文楽座→朝日座→WINS
となっているのですがどっちなんでしょう?
僕はこの記事と同じように朝日座→空き地だとおもうのですが。。。
匿名 / 2014/02/02 1:32 PM

ひえ〜ほんとですか?
あらどうしましょう。
調べてみますのでちょっとお時間下さいね!
オムライス / 2014/02/02 10:30 PM

自分が何を根拠に 
朝日座→空地 と判断したのか忘れてしまったので、
再確認してみました。

まず、冒頭の道頓堀ニュースの道頓堀案内図は
昭和4年発行のものです。
戦後、文楽座をどの位置に建設したか、
がポイントになると思います。

参考にした岩波講座-歌舞伎・文楽第10巻に、

昭和31年12月28日に道頓堀文楽座開場、場所は弁天座跡
同38年8月に朝日座と改称

とありますので、
道頓堀案内図の弁天座の位置が間違っていなければ
弁天座→文楽座→朝日座→空地 になり、 
WINSはもと豊竹座になります。

しかし、このたび新しく発見したのですが、

唯一見ることのできる戦後(昭和30年になります)
の大阪地図では、弁天座と考えられる最東端の櫓の位置が
相合橋南詰の向かって東の角になっていますので、
この地図に従いますと、
豊竹座→(省略)→文楽座→朝日座→WINS
になり、岩波講座が間違っていることになりますが、
いずれにしても弁天座→WINSは無さそうです。

昭和30年大阪地図 
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/santoshi_1213.html
赤三角印で道頓堀五座の位置が示されています。

また、これも今回見付けたのですが、
文楽座Wikipediaには、
道頓堀文楽座は第三者に売却されDOBOXビルになっている
と書かれています。
空地の東隣にDOBOXビルはあります。

真実や如何に?!

というわけで、可能性が増えただけで、
どれが正しいのか益々わからなくなりました。
面目ありません。

道頓堀五座については、また何かわかったら
ブログに纏められればいいなと思っています。
オムライス / 2014/02/03 10:04 PM

あっ、でも戦後弁天座が豊竹座跡地に再建されたのなら
弁天座→文楽座→朝日座→WINSは有り得ますね。
う〜〜〜ん
オムライス / 2014/02/03 10:25 PM

道頓堀の芝居ははじめ浜側に建てられたのが
次第に今の岡の側に移り、
浜側には芝居茶屋が立ち並ぶようになったらしい。
へえ〜〜
オムライス / 2014/03/13 8:06 AM










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