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妄想オムライス
床下は骨伝導 ワ((゚゚дд゚゚ ))ワワ !!!!!



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浅草神社
花川戸公園姥ヶ池を出て右へ、


二天門に戻って浅草寺境内に入り、

 ↑クリックで二天門説明


右を向けば、三社祭で有名な浅草神社。

通称「三社さま」といいます。


いろんなものがあってキョロキョロしちゃうよ。

火事と喧嘩は江戸の華、か。


初代市川猿翁句碑 「翁の文字まだ身にそはず 衣かえ 猿翁」

 ↑クリックで説明


こっちはなんだっけ、



跳石を奥へ行ってみませう。



かわいい〜

ってなるよね。


川口松太郎句碑 「生きるということ むずかしき夜寒かな」

なんか身につまされてせつなくなったじゃないか。  ↑クリックで説明


左が花塚で、右の黒いのが河竹黙阿弥顕彰碑。あとで黙阿弥住居跡へも行こう。

 ↑クリックで花塚説明 笠翁斉乱鳥さんは知らなかったが華道のお師匠さんのようだ。


初代播磨屋句碑 「女房も おなじ氏子や 除夜詣 吉右衛門」

 ↑クリックで説明  


扇入れと扇塚。


扇入れにたてかけてある金の立て札には、

古扇納め箱

わたくし達日本舞踊を志すものにとりまして
扇は欠くことの出来ない品でございます
使い古された扇はどうぞこの箱にお納め下さい
毎年四月八日にご祈祷の上 扇に感謝の
ご供養を致します

(上がり藤の紋) 花柳流花柳会


 と書いてありまする。



手水舎の手前にえらいかっこいい狛犬さん吽。毛並みがシルクみたい。

山川町の大工虎五郎さんが奉納したのかな。


阿形もシルキータッチ。田町の文三郎さん奉納のようだ。

天然石をコラージュした台座が荒々しくて、これまたかっくいい。


拝殿。

こんにちは。ながなが御無沙汰しとりました。



wikipedia浅草神社 より

浅草神社の草創に関わった土師真中知(はじのあたいなかとも)檜前浜成(ひのくまはまなり)・武成(たけなり)を主祭神とし、東照宮(徳川家康)・大国主命を合祀する。檜前浜成・武成の他のもう一柱の主祭神については諸説あったが、現在では土師真中知であるとしている。この三人の霊をもって「三社権現」と称されるようになった。

社伝によれば、推古天皇36年(628年)、檜前浜成・武成の兄弟が宮戸川(現在の隅田川)で漁をしていたところ、網に人形の像がかかった。兄弟がこの地域で物知りだった土師真中知に相談した所、これは観音像であると教えられ、二人は毎日観音像に祈念するようになった。その後、土師真中知は剃髪して僧となり、自宅を寺とした。これが浅草寺の始まりである。土師真中知の歿後、真中知の子の夢に観音菩薩が現れ、そのお告げに従って真中知・浜成・武成を神として祀ったのが当社の起源であるとしている。

実際には、平安時代の末期から鎌倉時代にかけて、三人の子孫が祖先を神として祀ったものであると考えられている。ご神体として一般の人間(漁師と僧侶)を祀っている為、神社の格としては江戸一低いといわれている。

明治の神仏分離により浅草寺とは別法人になり、明治元年に三社明神社に改称、明治5年に郷社に列し、明治6年に現在の浅草神社に改称した。





「土師真中知」は名前から土師氏の一族であると考えられている。てことは、真中知さんとあたしのアイドル菅原道真さんとは親戚じゃないですか。すると、国境からはみ出た葦原と石浜のほかになにもない湿地に道真の親戚が仏像(仏教)を携えてやって来たのが浅草神社・浅草寺のはじまり(諸説紛々ありまくり)ということになり、そのような形で自分が暮らした浅草とみっちー(道真)が関係していたのだと思い込むと、おもしろくて感慨深いのであります。

wikipediaでは「土師真中知」の読みが「はじのあたいなかとも」となっているが、「はじのまつち」と読むのが一般的だと思っていた。彼の待乳山の聖天さんは「土師真中知」の館のあった場所ともいわれており、「真中知・まつち」の居住する高台ゆえに「待乳山・まつちやま」と呼ばれるようになった、という説がある。



天水桶から助六が飛び出してきそうじゃあ、ござんせんか。


 
 浅草神社ホームページ







 

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